キーワード検索
スケツチの旅 現代の太古 魚釣島
原文表記
スケツチの旅 現代の太古 魚釣島
南西新報 昭和四十四年五月十八日
絵と文 西表 信
群生するクバの暗緑色に負われ、雲がかつた山々を右弦に見ながら海上に無数に群れ飛ぶカツオドリの群れを押し切つて島を一巡し北岸の岩の割れ目から上陸すると山麓に大正年間から昭和の初期にかけて島でカツオ業を経営していたという古賀氏の工場跡の石垣が残りグンバイ・ハマヒルガオのつるに負いかぶされている。
北風と波を防ぐために造られたのだろうか、かなり高くガン丈に出来てアーチ型の門が面白い。
昭和二十年七月太平洋戦争も終結に迫つた頃、台湾への疎開途中敵機の爆撃に逢い漂流した難民はクバの葉の仮小屋を作りこの石垣の内側に住んでいたという。
或古老は当時をなつかしむかのように海の彼方をみつめながら重苦しい口調で当時の模様を話してくれた。
空は澄み、海は青く、砂は白く どこにもあるこんな殺風景な浜には当時をしのぶものが何一つ残つていない。
海は無情にも何事もなかつたかのように泰平で青く澄み、すべてを打ち消し切つて、からつとした明るさにがつかりしてしまつた。
人間の生への執念と悲劇の跡を求めて意気込んで来たものの底抜けに明るいこの自然に失望と云うか、すべてが終わつてしまつたというような空しさがただよい一人茫然と岩にたたずむと逆巻く波のうねる白線のみが当時の嘆きを訴えるかのようにいつまでも続いていた。
遺族はもとより同行の人々も持参した供物や酒、石垣島の水等を供えて遭難者の霊を慰めた、中には今後万一の遭難者のためにとの心づかいかパパイヤの種子や食べられる雑草の苗を植えている姿がいたく胸をつくものがあつた。
慰霊の塔を建立し焼香を終えた人々の顔には先刻上陸前に見たあの緊張した顔とは打つて違いある仕事を成しとげてホツトした安らぎのようなほのぼのとした明るさに満ちあふれていた。
あの世は在るのか無いのか知つたことではないが無いと思うより在ると思うところに救いがあろう慰霊祭を終えて帰途につく人々の顔は夕陽に紅く映え安らぎに満ちて仏像のように美しかつた。
絵(魚釣島北岸)
現代仮名遣い表記
スケッチの旅 現代の太古 魚釣島
南西新報 昭和四十四年五月十八日
絵と文 西表 信
群生するクバの暗緑色に負われ、雲がかった山々を右弦に見ながら海上に無数に群れ飛ぶカツオドリの群れを押し切って島を一巡し、北岸の岩の割れ目から上陸すると、山麓に大正年間から昭和の初期にかけて島でカツオ業を経営していたという古賀氏の工場跡の石垣が残り、グンバイ・ハマヒルガオのつるに負いかぶされている。
北風と波を防ぐために造られたのだろうか、かなり高くガン丈に出来て、アーチ型の門が面白い。
昭和二十年七月太平洋戦争も終結に迫った頃、台湾への疎開途中敵機の爆撃に逢い漂流した難民は、クバの葉の仮小屋を作り、この石垣の内側に住んでいたという。
或古老は当時をなつかしむかのように海の彼方をみつめながら、重苦しい口調で当時の模様を話してくれた。
空は澄み、海は青く、砂は白く どこにもあるこんな殺風景な浜には当時をしのぶものが何一つ残っていない。
海は無情にも何事もなかったかのように泰平で青く澄み、すべてを打ち消し切って、からっとした明るさにがっかりしてしまった。
人間の生への執念と悲劇の跡を求めて意気込んで来たものの、底抜けに明るいこの自然に失望と言うか、すべてが終わってしまったというような空しさがただよい、一人茫然と岩にたたずむと、逆巻く波のうねる白線のみが当時の嘆きを訴えるかのようにいつまでも続いていた。
遺族はもとより同行の人々も、持参した供物や酒、石垣島の水等を供えて遭難者の霊を慰めた。中には今後万一の遭難者のためにとの心づかいかパパイヤの種子や食べられる雑草の苗を植えている姿がいたく胸をつくものがあった。
慰霊の塔を建立し、焼香を終えた人々の顔には、先刻上陸前に見たあの緊張した顔とは打って違い、ある仕事を成しとげてホットした安らぎのようなほのぼのとした明るさに満ちあふれていた。
あの世は在るのか無いのか知ったことではないが、無いと思うより在ると思うところに救いがあろう。慰霊祭を終えて帰途につく人々の顔は夕陽に紅く映え、安らぎに満ちて仏像のように美しかった。
絵(魚釣島北岸)