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無人島探訪記
原文表記
無人島探訪記
南琉タイムス 昭和二十五年四月二十五日
高 良 鐵 夫
一尖閣列島
一日も早く尖閣列島え渡つて見たいというのが二年前からの私の切寳なる希望であった
それは同列島が生物地理學上 又海洋氣象學上の要点に位置しているからである それ程までに念願していた 無人島えの航行がいよいよ今日實現されるのだと思うと寳に感慨無量である 三月二十七日午后七時盛海丸(一〇トン二〇馬力)は新川沖を出發し 漁釣島を目指して北北西に進路をとつた 街の電燈は次々と姿をかくし富崎を廻るとともに電燈はすつかり姿をかくしてしまつた 懷しい街美わしい人々の心が胸を打つ月は冴えているが波は高く屋良部半島 小濱島 西表島がほのかに見える あれやこれやと街の文化生活を考えると行く先の無人島生活が思いやられる 船の揺れが次第に大きくなつてぢつとして居られない 次第に頭が重くなつて來て船に弱い者の哀れさを痛感させられてならない 苦しい波路に夜は明けて午前七時水平線手前に魚釣島 南小島がかすんで見える あれが尖閣列島そして無人島かと思うと全く夢のようである 船は上がつたり下がつたりでひどく揺れ 船側に碎ける大波は甲板を洗い流す 午前十時半南小島北小島の西南側を通過し 魚釣島の南岸に沿うて西北岸に廻航する南小島北小島に於ける海岸島の群れが双眼鏡に映ずる魚釣島南岸の断崖絶壁は見ただけでもぞつとする 全島見渡す限りビロウが一杯繁茂している 午前十一時二十分魚釣島の西北岸に停船しここで上陸準備をする
海岸に廢きよらしいものが見える 船員がオーイと呼ぶと廢きよの中からオーイと答えて三人の男が向う鉢巻で出てきた 船員にきいて見るとここが數十年前古賀氏の鰹工場の跡である事がわかつた そして現在は一月前より發田氏の鰹假加工場になつている 三人の男が海岸から舟をこぎ■して來る 午前十一時五十分荒波との流の中に漸く小舟に乘り移る 汀線■は珊瑚礁が舞台狀に縁着している 午前十一時五十分東支那海の一無人島魚釣島に第一歩を踏む眞に痛快である
北緯二十五度四十六分三十秒東經百二十三度二十九分の一■■に■つて漁ろうに行く盛海丸を見送る
魚釣しまは石垣じまを去ること約六十粁の位置にある 尖閣列とう中の激最大島■周圍十一粁余面積三百六十七町歩余石垣市字登野城に属している
二、宿營地
舟着場には鰹の頭や内臓が惜氣もなく捨てられ腐敗臭がそよ吹く風にぶんぷんとして鼻をつく船酔と臭氣で目暈がしそうになる ふらふらしながら■きよの樓門をくぐつて中に入つた 積み重ねられた石垣は第三紀砂岩であり厚さ約三米高さ約四米實に堅固である
風波を防ぐ■めの石垣であるが■三方には出入の出來る程の樓門があるこの圍の中に二坪の幕舎と約三坪のビロウ葺の假工場が■つて居■無人とうは■の■■がみなぎつている そこで私■五入の加工■の仲間入りを■この墓舎にとめてもろう事にしたこゝには淸浄な小流水かあり實に佳良な飮料水が得ら■る 近隣にはテツポウユリの花が咲きほこりキセキレイホホシロセキレイ?かせつせと■び交し タカサゴシヤリンバイの花■香が鼻■つく實に住みよい■ろである (續)
現代仮名遣い表記
無人島探訪記
南琉タイムス 昭和二十五年四月二十五日
高 良 鐵 夫
一 尖閣列島
一日も早く尖閣列島へ渡って見たいというのが二年前からの私の切実なる希望であった。
それは同列島が生物地理学上、又海洋気象学上の要点に位置しているからである。それ程までに念願していた無人島への航行がいよいよ今日実現されるのだと思うと実に感慨無量である。三月二十七日午後七時盛海丸(一〇トン二〇馬力)は新川沖を出発し、漁釣島を目指して北北西に進路をとった。街の電灯は次々と姿をかくし、富崎を廻るとともに電灯はすっかり姿をかくしてしまった。懷しい街、美わしい人々の心が胸を打つ。月は冴えているが波は高く、屋良部半島、小浜島、西表島がほのかに見える。あれやこれやと街の文化生活を考えると行く先の無人島生活が思いやられる。船の揺れが次第に大きくなってじっとして居られない。次第に頭が重くなって来て、船に弱い者の哀れさを痛感させられてならない。苦しい波路に夜は明けて、午前七時水平線手前に魚釣島、南小島がかすんで見える。あれが尖閣列島、そして無人島かと思うと全く夢のようである。船は上がったり下がったりでひどく揺れ、船側に砕ける大波は甲板を洗い流す。午前十時半、南小島北小島の西南側を通過し、魚釣島の南岸に沿うて西北岸に廻航する。南小島北小島に於ける海岸島の群れが双眼鏡に映ずる。魚釣島南岸の断崖絶壁は見ただけでもぞっとする。全島見渡す限りビロウが一杯繁茂している。午前十一時二十分魚釣島の西北岸に停船し、ここで上陸準備をする
海岸に廃きょらしいものが見える。船員がオーイと呼ぶと廃きょの中からオーイと答えて三人の男が向う鉢巻で出てきた。船員にきいて見ると、ここが数十年前古賀氏の鰹工場の跡である事がわかった。そして現在は一月前より發田氏の鰹仮加工場になっている。三人の男が海岸から舟をこぎ■して来る。午前十一時五十分、荒波との流の中に漸く小舟に乗り移る。汀線■は珊瑚礁が舞台状に縁着している。午前十一時五十分東支那海の一無人島魚釣島に第一歩を踏む。真に痛快である
北緯二十五度四十六分三十秒、東経百二十三度二十九分の一■■に■って漁ろうに行く盛海丸を見送る。
魚釣しまは石垣じまを去ること約六十粁の位置にある。尖閣列とう中の激最大島■周囲十一粁余、面積三百六十七町歩余、石垣市字登野城に属している。
二、宿営地
舟着場には鰹の頭や内臓が惜気もなく捨てられ、腐敗臭がそよ吹く風にぶんぷんとして鼻をつく。船酔と臭気で目眩がしそうになる。ふらふらしながら■きよの楼門をくぐって中に入った。積み重ねられた石垣は第三紀砂岩であり、厚さ約三米、高さ約四米、実に堅固である。
風波を防ぐ■めの石垣であるが■三方には出入の出来る程の楼門がある。この囲の中に二坪の幕舎と約三坪のビロウ葺の仮工場が■つて居■無人とうは■の■■がみなぎっている。そこで私■五入の加工■の仲間入りを■この墓舎にとめてもらう事にした。こゝには清浄な小流水があり実に佳良な飲料水が得ら■る。近隣にはテッポウユリの花が咲きほこり、キセキレイ、ホオジロセキレイ?がせっせと■び交し、タカサゴシャリンバイの花■香が鼻■つく実に住みよい■ろである。
(続)