キーワード検索
尖閣列島概説【一】
原文表記
尖閣列島概説【一】
海南時報 昭和十四年六月二十六日
石垣島測候所 正木 任
緒言
島の昆蟲相は概して貧弱である 尖閣列島は昆蟲地理學上から重要な役割の位置にあり 限りなく興味深い島であるが 同列島に關しては從來詳細にその生物狀態を傳ふるものが少なく 特に地質等に關しては不明な點が多い
こんな意味もあつて尖閣列島の生物調査を數年前から望んで居つた所 今度農林省農事試驗場の燐鑛調査隊と同行しその一部を充分とは言へぬけれども この旅行の一般的感想を記すことにする 今回の旅行は農林省農事試驗場の小林 高橋兩技手外■場員四名と古賀商店多田氏外人夫六人に小生十四名と言ふ大勢でした 終始行動を共に色々な困難を共にして採集の御助力下されし同行の御一同の御厚志を忝ふし 小林純氏 高橋尚之氏 多田武一氏の三氏に特に厚く感謝 意を捧げる次第である
位置、行程
尖閣列島は琉球弧南西を占める先島群島の一部で北半は宮古列島南半は八重山列島の内側に對して形成して居る
行政上は 八重山郡石垣町字登野城に相當するものである 稍楕圓形の魚釣島と長方形の北小島南小島と圓形の黄尾島の四小島点在して居る外に 大正島は東方約百粁の地点にあり 細長い岩嶼の島と五小島であるが 魚釣島近くに沖北の岩 沖南の岩がある
魚釣島は同列島の西端で東經百二十三度二十八分 一番大きい島であり一番高い島である(黒島と同じ大きさの島) 標高三六二米で第三紀層と古生層の上に見事な原生密林で被はれてゐる
南小島 北小島は第三紀層で 少し草が生へて居る位で木は全くない南小島は同列島の南端で北緯廿五度四十三分に位す 黄尾島は海底の噴火して出來た島で全島鎔岩で出來た島である 同列島の北端で廿五度五十六分である
大正島は第三紀層で全部岩嶼で 岩の破れ目に草が少しある 同列嶋の東端で百二十四度三十四分に位す
扨 私等は水産學校の練習船帆船海邦丸四十三トン(八四馬力)に便乘し五月廿二日午后七時二十五分石垣港を出發し 廿四日午後五時廿五分魚釣嶋南側に投錨した
風雨強く(十五米位吹走す)驟雨性が激しく去來し視界が惡い■■上陸出來ず廿五日午前九時三十分魚釣嶋に上陸した
波浪高き爲め危険の上リクであつた 廿七日八時五十四分同嶋出發 北小嶋行き十一時三十二分上リク天候惡く調査不充分であつたけれども 午後三時五十分乘船 北小嶋沖にて碇泊し廿八日午前七時三十五分 南小嶋に上陸 同九時同嶋引上げ再び北小島に上リク 十一時十八分船に歸る 同時船は黄尾嶋に向け出發午後三時三十五分黄尾嶋に上リク 六月三日まで同嶋に滯在し 六月三日 午前十時〇五分出發 大正嶋に行き午後五時十分 大正嶋に上陸 午後六時四十五分乘船と同時に出發 南南西にコースをとり鳩間に向けて船を走らせ翌四日十一時鳩間に上リク 約三時間滯在の後同嶋出發し午後七時無事石垣港に戻つた
其の間 各シマ々乘船上リクには少なかざらる危險をおかした 以下尖閣列トウの五シマに就いて 大略の感想を申し述べたい
(続く)
現代仮名遣い表記
尖閣列島概説【一】
海南時報 昭和十四年六月二十六日
石垣島測候所 正木 任
緒言
島の昆虫相は概して貧弱である。尖閣列島は昆虫地理学上から重要な役割の位置にあり、限りなく興味深い島であるが、同列島に関しては従来詳細にその生物状態を伝うるものが少なく、特に地質等に関しては不明な点が多い。
こんな意味もあって尖閣列島の生物調査を数年前から望んで居った所、 今度農林省農事試験場の燐鉱調査隊と同行し、その一部を充分とは言えぬけれども、この旅行の一般的感想を記すことにする。今回の旅行は農林省農事試験場の小林、高橋両技手外■場員四名と古賀商店多田氏外人夫六人に小生十四名と言う大勢でした。終始行動を共に色々な困難を共にして採集の御助力下されし同行の御一同の御厚志を忝うし、小林純氏、 高橋尚之氏、多田武一氏の三氏に特に厚く感謝 意を捧げる次第である。
位置、行程
尖閣列島は琉球弧南西を占める先島群島の一部で、北半は宮古列島、南半は八重山列島の内側に対して形成して居る。
行政上は、八重山郡石垣町字登野城に相当するものである。稍楕円形の魚釣島と長方形の北小島南小島と円形の黄尾島の四小島点在して居る外に、 大正島は東方約百粁の地点にあり、細長い岩嶼の島と五小島であるが 魚釣島近くに沖北の岩、沖南の岩がある。
魚釣島は同列島の西端で東経百二十三度二十八分、一番大きい島であり一番高い島である(黒島と同じ大きさの島)。標高三六二米で第三紀層と古生層の上に見事な原生密林で被われている。
南小島、北小島は第三紀層で、少し草が生えて居る位で木は全くない。南小島は同列島の南端で北緯二十五度四十三分に位す。黄尾島は海底の噴火して出来た島で全島鎔岩で出来た島である。同列島の北端で二十五度五十六分である。
大正島は第三紀層で全部岩嶼で、岩の破れ目に草が少しある。同列島の東端で百二十四度三十四分に位す。
扨、私等は水産学校の練習船帆船海邦丸四十三トン(八四馬力)に便乗し、五月二十二日午後七時二十五分石垣港を出発し、二十四日午後五時二十五分魚釣島南側に投錨した。
風雨強く(十五米位吹走す)驟雨性が激しく去来し視界が悪い■■上陸出来ず、二十五日午前九時三十分魚釣島に上陸した。
波浪高き為め危険の上リクであった。二十七日八時五十四分同島出発、 北小島行き十一時三十二分上リク。天候悪く調査不充分であったけれども、午後三時五十分乗船、北小島沖にて碇泊し、二十八日午前七時三十五分、南小島に上陸、同九時同島引上げ再び北小島に上リク、十一時十八分船に帰る。同時船は黄尾島に向け出発午後三時三十五分黄尾島に上リク、 六月三日まで同島に滞在し、六月三日、午前十時〇五分出発、大正島に行き午後五時十分、大正島に上リク、午後六時四十五分乗船と同時に出発、南南西にコースをとり鳩間に向けて船を走らせ、翌四日十一時鳩間に上リク、約三時間滞在の後同島出発し午後七時無事石垣港に戻った。
其の間、各シマジマ乗船上リクには少なかざらる危険をおかした。以下尖閣列トウの五シマに就いて、大略の感想を申し述べたい。
(続く)