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八重山の鰹業

掲載年月日:1918/5/11(土) 大正7年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

八重山の鰹業
琉球新報 大正七年五月十一日

 左記の書面は八重山檢査員金城蒲戸氏より佐々木技師に宛たる書面な
 り
(前畧)八重山郡に於ては小生來島以來鰹漁を開始する者なく只鳩間島の帆船銀榮丸が去三月下旬より出漁致し四月に入りてよりは漁獲盛なる由にて候又與那國にては糸滿人の小舟にて盛に漁獲致し居り候
小生來嶋當時石垣嶋近海小濱近海並びに諸嶋嶼にても鰹の餌料たるスルゝ、キビシヤコ其他雜漁の種類今迄少なき爲め各組合も開始致さず、又製造人、釣手の人達沖繩本嶋並に他府縣より來島せざる結果本郡の鰹業も他郡に比し自然と後れ居る次第に御座候又當八重山郡は翌年に比し鰹船十二隻位も少なくなり現在残りたる鰹船は石垣村十二隻小濱二隻鳩間島大田守恒所有船一隻尖閣列嶋一隻計十六隻の發動機船と從前の通りの帆船にて候、石垣村にては宮崎治三郎所有船二隻出漁致し五月四日迄の平均釣揚高百尾より百五十尾位にて候其多くは小番にて五月に入りてより大番中番の混ずるを見受け候
鰹の餌料としては赤じやこ、大眼魚が重なるものにて候
(下畧)

現代仮名遣い表記

八重山の鰹業
琉球新報 大正七年五月十一日

 左記の書面は八重山検査員金城蒲戸氏より佐々木技師に宛たる書面な
 り。
(前略)八重山郡に於ては小生来島以来鰹漁を開始する者なく、只鳩間島の帆船銀栄丸が去三月下旬より出漁致し、四月に入りてよりは漁獲盛なる由にて候。又与那国にては糸満人の小舟にて盛に漁獲致し居り候。
小生来島当時石垣島近海、小浜近海並びに諸島嶼にても、鰹の飼料たるスルゝ、キビシャコ其他雑魚の種類今迄少なき為め各組合も開始致さず、又製造人、釣手の人達沖縄本島並に他府県より来島せざる結果、本郡の鰹業も他郡に比し自然と後れ居る次第に御座候。又当八重山郡は翌年に比し鰹船十二隻位も少なくなり現在残りたる鰹船は石垣村十二隻、小浜二隻、鳩間島大田守恒所有船一隻、尖閣列島一隻、計十六隻の発動機船と従前の通りの帆船にて候。石垣村にては宮崎治三郎所有船二隻出漁致し、五月四日迄の平均釣揚高百尾より百五十尾位にて候。其多くは小番にて五月に入りてより大番中番の混ずるを見受け候。
鰹の飼料としては赤じゃこ、大眼魚が重なるものにて候。
(下略)