キーワード検索
◎新稅法實施紀念會
原文表記
◎新稅法實施記念會
霄捱
八重山に於て、人頭税を廢して新税法を實施せしは明治卅六年なりき即ち本年を以て十周年となれり、一月十六日に新税法實施記念大祝賀會を嶋廳の前の空地に於て催せり各村(今の各字)より人民來集して直ちに人の山を築く、島司閣下八重山郡民總代上江洲由恭君、小學校長代理石垣用宗君、松村仁之助君、其他數名祝詞を朗讀し續はて宴會を開き綱引きの餘興ありき
抑も此の新税法の實施たるや八重山の文明に進み 緖にして彼の斷髮の全郡民には行はれしも實に此の時なりき、此の以前には只だ學生徒官公吏等其の他有志者の或る部分のみに行はれ其の郡民の七八割をなせる農民の如きは實に此の時を期して全部髮を切り納むるに至れりなり、此の時に當りて卒先して直ちに断髮の實行をなせるは登野城村にして各自思ひ〱に自家に於て妻に切らすあり弟■切らすあり或は父或は兄に願ふあり、斯くて両日中の村の八九割は是に勵行せしも尚ほ散髮を恐るゝものあり■かば有志相はかりてよく彼等を說諭してきらしめ更に頑固保守的にして容易に髮を切るべく見えざるものには最後の手段として其家の門に旗頭を推し立て太皷銅鑼等を打ち叩きつゝ四五名は其の家に入りて强制的に髮を落せり、斯くて六七十才以上の老人を除くの外は村民悉く決行し十九日には登野城事務所■即ち今の税務署敷地に於て村民の大親睦會を開催し上江洲會長は世の中の移り變り進歩發転を説きつとに勤儉ならざるべからず事を述べ平民の女の毛遊の廢止をすゝめ其の外有益なる話をなせり他村もこれに傚ひて散髮勵行■つとめしかば全郡男民急ちに今日ある如く散髪生に化せり
惟ふに人頭税たるや十六才以上五十才以下の人民各自に納税の義務を負はしめ士族に輕く平民に重く課せりこれを以て士族平民の問に甚だしき區別■有せるなり、然るに人頭税の廢せらるゝに至りてより年々士族平民の區別薄くなり、而して世の文明に進み人智發達し敎育盛んになるに從ひ八重山は遂に今日の如く盛况に進みたる次第にして今にして思へば實に今皆の感■揕へむるなり
現代仮名遣い表記
◎新税法実施記念会
霄捱
八重山に於て、人頭税を廃して新税法を実施せしは、明治三十六年なりき。即ち本年を以て十周年となれり、一月十六日に、新税法実施記念大宿賀会を嶋庁の前の空地に於て催せり。各村(今の各字)より人民来集して、直ちに人の山を築く、島司閣下八重山郡民総代上江洲由恭君、小学校長代理石垣用宗君、松村仁之助君、其他数名祝詞を朗読し、続はて宴会を開き、綱引きの余興ありき
。抑も此の新税法の実施たるや、八重山の文明に進み■諸にして彼の断髪の全郡民には行はれしも、実に此の時なりき、此の以前には只だ学校生徒官公吏等、其の他有志者の或る部分のみに行はれ。其の郡民の七八割をなせる農民の如きは、実に此の時を期して、全部髪を切り納むるに至れりなり、此の時に当りて、卒先して直ちに断髪の実行をなせるは、登野城村にして各自思い思いに自家に於て妻に切らすあり。弟■切らすあり或は父或は兄に願うあり、斯くて両日中の村の八九割は是に励行せしも尚お、散髪を恐るるものあり。■かば有志相はかりて、よく彼等を説諭してきらしめ更に、頑固保守的にして容易に髪を切るべく。見えざるものには、最後の手段として其家の門に旗頭を推し立て、太鼓銅鑼等を打ち叩きつつ、四五名は其の家に入りて強制的に髪を落せり、斯くて六七十才以上の老人を除くの外は、村民悉く決行し。十九日には登野城事務所■即ち、今の税務署敷地に於て、村民の大親睦会を開催し、上江洲会長は世の中の移り変り進歩発転を説き。つとに勤倹ならざるべからず事を述べ、平民の女の毛遊の廃止をすすめ。其の外有益なる話をなせり、他村もこれに傚いて散髪励行■つとめしかば、全郡男民急ちに今日ある如く、散髪生に化せり。
惟ふに人頭税たるや、十六才以上五十才以下の人民各自に、納税の義務を負はしめ、士族に軽く平民に重く課せり、これを以て士族平民の問に甚だしき、区別■有せるなり、然るに人頭税の廃せらるるに至りて、より年々士族平民の区別薄くなり、しかしして世の文明に進み、人智発達し、教育盛んになるに従い。八重山は遂に今日の如く盛况に進みたる次第にして、今にして思へば実に今皆の感■揕へむるなり。