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本年中の総勘定
原文表記
本年中の総勘定
當年の歳華爰に盡く、吾人は此の盡日の曙光を拝し、先づ感ずる所のものは、明治聖代史中の一部を飾るべき三十六句有餘日の間、必ずしも大なる歡樂に接せざるとも、傷殺せらるべき憂患に會せず、大なる善行なかりしとするも、必ずしも大なる禍誤を演せず、言はば平凡生涯の中、昭代の樂を共に喜び來たることにそある、素より人々個々に就き一歳中の總勘定如何、彼是差引し來るに於て多少の憾慨なきを免かれずとするも、今年經過の跡を追想すれば、寧ろ昭代平和の樂しみ多きを感せざること能はざるべし、斯くて此の昭代平和の裡に於て今年出會したる出來事の重なるもの、二三を屈指すれば内地に於て拾數府縣に跨りたるの洪水あり、殆と全市街を全滅したる火災あり、其の他氣候の變動により、一部地方に農作物の割合に豊作ならざりしあり、本縣下亦た再度の暴風に會して庶藷の滅作を見たりろするも、災餘尚ほ國民又は地方民としての活動力、依然として求むべきある、豈に幸慶の一事ならずや、其他世界の廣き帝國の■■き、小大合せ擧ぐれば、殆ど應接に苦しむものなからずと雖も、本年九月日韓併合の快擧程、吾人の心膽に沁み々々したる事件はあらざるべし、去れば吾人は此の事件によりて、帝國有史以來初めての快感を快喫したる幸福の時代民たる一人と云ふべきかなれども、軈て又た此大陸に足踏み掛たる責任の將來に向つて多大なるを自覺せざる能はざるにあらずや、斯くて責任の自覺は猶ほ此の快感の代償にその■なからざるに於て、其の間自ら差引き勘定の出來ざるにもあらざるべし、而も其斯の如き快感も、責任の自覺と共に之れ帝國の■史積棄の裏、自然に發見せられたる天地の間吾人の宿因たりとせば、住者に對し吾人の負ふ所輕易ならざるを知ると仝時、吾人尚ほ來者に■し勉むるあるの強ちに僣越ならざるを知るべし、要するに吾人の生涯は教訓の發見なり、經驗の積集なり、今年の出來事により、是等の教訓、經驗の幾千歟を得たるが如く、一夜明けての明年の經過も亦た幾千歟の寄與するなきやを疑はず、斯くして而して吾人は未來に對しても尚ほ確乎たる信仰を有し得べしとせば、人類即ち信仰の動物として此の世に存在することの如何に樂しきことにあらずや、故に吾人は今年の經過に於て、人間生活の決して無意味ならざるを知り、一方縣下に於て
直接際會したる三四の出來事を數べ來らば、我が沖縄の天地も亦之れ幸福■巷、祝福の一時たるを認むるは易々たらむ、然り而して其の事の何なりやと云ふに他にあらず、縣民の熱望したる電燈、電話の如き文明の事業が今年を以て縣下に行はれたる最提の例として縣下の文物は■々乎として開化の風潮を急ぎつゝあり、本年三月那覇區に大火事あれは、所謂鐘樓の勇士は職責を火中に守るの氣概を示したらずや、斯くて又三浦丸の遭難■惨中の惨事たりと雖も船主古賀氏の如き五千圓の大金を投出し、幾多仁慈■心■は勃然として巨額の義捐金を醵出し以て此の■惨の椿事を仁慈■義の靈火の裡に葬むりたるにあらずや、如斯は眞に之れ修羅場裡の仁心屍山血河の慈風のみ、縣下に仁義の猶健在なるを証するものに非ずして何ぞや、其他尚ほ擧べきものとして金祿の公債に代へられ百八十有餘萬圓の資金が一時に縣下に流入するに至■る那覇の築港事業が縣營に移れる、水産學校を始めとして二三中等學校の縣事業となれる一として皆な縣民の自任の氣象と有爲の表兆たらざるはなきにあらずや、若し夫れ縣下に新聞記者團の觀光■來れる縣下より内地觀光の出でたる、其動機と■蹟に就て批評の餘地ありとするも、猶ほ以て民心發揚の一助たらずとせず、况や畏くも閑院宮兩殿下金枝玉葉の御身を以て御來縣ありたる光榮と其の餘慶とに就ては特筆以て吾人の記憶に銘刻し千秋敢て粗畧あるべからざるの一事たりとす、顧ふに斯の如くにして而して經過されたる吾人の本■は、其の歴史の残頁■ば來るべき年月■讓■て、完成に勉めて止まざるべし、中には善惡其に其の傾向の一ならざるありとするも取捨は宜しく■事に際會したる同胞の勉むべき所、吾人は只だ其の年月の推移が決して無意味ならざるを知るを得ば足れりとはせんのみ、爰に歳晩の諸■を■■教訓多き、歳華の逝くを送ると云爾
現代仮名遣い表記
本年中の総勘定
当年の歳華爰に尽く、吾人は此の尽日の曙光を拝し、先づ感ずる所のものは、明治聖代史中の一部を飾るべき三十六句有余日の間、必ずしも大なる歓楽に接せざるとも、傷殺せらるべき憂患に会せず、大なる善行なかりしとするも、必ずしも大なる禍誤を演せず、言はば平凡生涯の中、昭代の楽を共に喜び来たることにそある、素より人々個々に就き一歳中の総勘定如何、彼是差引し来るに於て多少の憾慨なきを免かれずとするも、今年経過の跡を追想すれば、寧ろ昭代平和の楽しみ多きを感せざること能はざるべし、斯くて此の昭代平和の裡に於て今年出会したる出来事の重なるもの、二三を屈指すれば内地に於て拾数府県に跨りたるの洪水あり、殆と全市街を全滅したる火災あり、其の他気候の変動により、一部地方に農作物の割合に豊作ならざりしあり、本県下亦た再度の暴風に会して庶藷の滅作を見たりろするも、災余尚ほ国民又は地方民としての活動力、依然として求むべきある、豈に幸慶の一事ならずや、其他世界の広き帝国の■■き、小大合せ挙ぐれば、殆ど応接に苦しむものなからずと雖も、本年九月日韓併合の快挙程、吾人の心胆に沁み々々したる事件はあらざるべし、去れば吾人は此の事件によりて、帝国有史以来初めての快感を快喫したる幸福の時代民たる一人と云ふべきかなれども、軈て又た此大陸に足踏み掛たる責任の将来に向つて多大なるを自覚せざる能はざるにあらずや、斯くて責任の自覚は猶ほ此の快感の代償にその■なからざるに於て、其の間自ら差引き勘定の出来ざるにもあらざるべし、而も其斯の如き快感も、責任の自覚と共に之れ帝国の■史積棄の裏、自然に発見せられたる天地の間吾人の宿因たりとせば、住者に対し吾人の負ふ所軽易ならざるを知ると同時、吾人尚ほ来者に■し勉むるあるの強ちに僣越ならざるを知るべし、要するに吾人の生涯は教訓の発見なり、経験の積集なり、今年の出来事により、是等の教訓、経験の幾千歟を得たるが如く、一夜明けての明年の経過も亦た幾千歟の寄与するなきやを疑はず、斯くして而して吾人は未来に対しても尚ほ確乎たる信仰を有し得べしとせば、人類即ち信仰の動物として此の世に存在することの如何に楽しきことにあらずや、故に吾人は今年の経過に於て、人間生活の決して無意味ならざるを知り、一方県下に於て
直接際会したる三四の出来事を数べ来らば、我が沖縄の天地も亦之れ幸福■巷、祝福の一時たるを認むるは易々たらむ、然り而して其の事の何なりやと云ふに他にあらず、県民の熱望したる電灯、電話の如き文明の事業が今年を以て県下に行はれたる最提の例として県下の文物は■々乎として開化の風潮を急ぎつゝあり、本年三月那覇区に大火事あれは、所謂鐘楼の勇士は職責を火中に守るの気概を示したらずや、斯くて又三浦丸の遭難■惨中の惨事たりと雖も船主古賀氏の如き五千円の大金を投出し、幾多仁慈■心■は勃然として巨額の義捐金を醵出し以て此の■惨の椿事を仁慈■義の霊火の裡に葬むりたるにあらずや、如斯は真に之れ修羅場裡の仁心屍山血河の慈風のみ、県下に仁義の猶健在なるを証するものに非ずして何ぞや、其他尚ほ挙べきものとして金禄の公債に代へられ百八十有余万円の資金が一時に県下に流入するに至■る那覇の築港事業が県営に移れる、水産学校を始めとして二三中等学校の県事業となれる一として皆な県民の自任の気象と有為の表兆たらざるはなきにあらずや、若し夫れ県下に新聞記者団の観光■来れる県下より内地観光の出でたる、其動機と■跡に就て批評の余地ありとするも、猶ほ以て民心発揚の一助たらずとせず、况や畏くも閑院宮両殿下金枝玉葉の御身を以て御来県ありたる光栄と其の余慶とに就ては特筆以て吾人の記憶に銘刻し千秋敢て粗略あるべからざるの一事たりとす、顧ふに斯の如くにして而して経過されたる吾人の本■は、其の歴史の残頁■ば来るべき年月■譲■て、完成に勉めて止まざるべし、中には善悪其に其の傾向の一ならざるありとするも取捨は宜しく■事に際会したる同胞の勉むべき所、吾人は只だ其の年月の推移が決して無意味ならざるを知るを得ば足れりとはせんのみ、爰に歳晩の諸■を■■教訓多き、歳華の逝くを送ると云爾