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◎生死不明者に就き

掲載年月日:1910/10/19(水) 明治43年
メディア:琉球新報社 4面 種別:記事

原文表記

◎生死不明者に就き
船客人及其他の通知によりて舩客の総數は今日まで六十四人に思はれ居るも而も此の六十四名の船客総數を以て尤も正確の人員なりしとは斷言する能はずことは六十四名なる船客総數が船客名簿の三十六名の外は委く生存者及舩員の言こと綜合して算へ來れるものなりを以てなり、現に發見死体中名簿に記載なきもの決して少なからず又生存者中にも同じく名簿記載漏れの人もありとのことなれば舩客總數は或は六十四名以上に達し居るにはあらずやと想像されつゝあり那覇警察署に於ては乘客人員の確かなる數の知れざる間死体搜索上困難の事ありとて各所轄警察署へ照會中なりとのことなるが左記九名は乘客人名簿記載中のものなるが未だ其生死判明せず果して右九名中行衛不明者のものあれば家族等の何分の訴へ出でるものある筈なるが其の後杳として斯かる訴出のなきのみか又生存の屆出なきを以て搜索上に就ては甚だ差困る事情のりと云ふ右に就き左記記入名の生存者若くしくは死骸受取人等は大至急最寄官公署(村役塲又は警察)へ何分のこと申出づべしと也
 國頭郡久志村        擴名 加夫
 仝大宜味村字登野喜屋  平良 康安
 仝名護杯           安里カマダ
 那覇              知念 ウト
 仝上              新垣 松
 仝上              比嘉 幸吉
 仝上              仝人 娘
 仝上              平良 カメ
 仝上              嶋袋 蒲

現代仮名遣い表記

◎生死不明者に就き
船客人及、其他の通知によりて船客の総数は、今日まで六十四人に思われ居るも、しかも此の六十四名の船客総数を以て、もっとも正確の人員なりしとは、断言する能はずことは、六十四名なる船客総数が、船客名簿の三十六名の外は、委く生存者及、船員の言こと綜合して、算へ来れるものなりを以てなり、現に発見死体中名簿に記載なきもの、決して少なからず。又生存者中にも同じく、名簿記載漏れの人もありとのことなれば、船客総数は、或は六十四名以上に達し居るにはあらずやと、想像されつつあり、那覇警察署に於ては乗客人員の確かなる数の知れざる間死体捜索上困難の事ありとて、各所轄警察署へ照会中なりとのことなるが。左記九名は乗客人名簿記載中のものなるが、未だ其生死判明せず。果して右九名中、行衛不明者のものあれば、家族等の何分の訴へ出でるものある筈なるが、其の後杳として、斯かる訴出のなきのみか又、生存の届出なきを以て、捜索上に就ては、甚だ差困る事情のりと云う。右に就き、左記記入名の生存者若くしくは、死骸受取人等は、大至急最寄官公署(村役場又は警察)へ何分のこと申出づべしと也。
 国頭郡久志村        拡名 加夫
 同大宜味村字登野喜屋  平良 康安
 同名護杯           安里カマダ
 那覇              知念  ウト 
 同上              新垣  松
 同上              比嘉  幸吉
 同上              同人  娘
 同上              平良  カメ
 同上              島袋  蒲