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◎十三日の名護

掲載年月日:1910/10/17(月) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎十三日の名護
天南生
◎四五日も風雨がつヾいたから堪もない今日は晴れるか明日は穏かになるかと思ふても十二日までは只荒れまさるばかり十三日に至つて漸く雨も収まり風も和いで來たので空の模樣はまだ安心は出來なかつたが先づ非常の緊迫から始めて自由になつた樣な心得になり朝起ると直に村内を一廻はりして歸って來ると小使が十日に名護を出た三浦丸が那覇の港外で沈没したことを聞いて來た
◎之を聞くと直く警察署にかけつけて田中署長に聞くと電信不通の爲那覇警察署から三浦丸が沈没して船客の死傷が多いが乗込んだ船客の氏名を取調べてよ越せと云ふ飛脚が來たとの事余が應接所に居るうち社の天來子も來り追々人々が大勢やつて來る
◎三浦丸は十日午后一時前に名護を出發したが當り前なら遅く■同日の午后五時過には那覇につくべき筈なるに警察署よりの報知には船の破損は十一日の午后八時とある然らばその間はどうして居たかと云ふことについては薩張り要領を得ない
◎平良保一仲宗根仲次郞の両君が乗こんだことは確かだから共立銀行の支店に寄つて聞いて見たら仲宗根君からは何の便りもないが大兼久の島袋某からは十日の午后八時發で無事着いたと云ふ電報があつたから船が沈没したのは船客が上陸してから後の事であらう仲宗根君も平良君も矢張り無事に上陸したらう位ひの事であつたが兎に角那覇では皆が心配して居る筈だから名護發のイ便が今發送しやうと云ふ所で乗込船客の重なるものや天來子と僕が乗こまなかつた事■認めて新報社へ出した
◎處が午后の三時頃に至り仲吉朝助君の急使が左の手紙を持つて風雨を冒してやつて來た
今朝三時三浦丸那覇港に於て破損船員船客死亡者多し平良保一君仲宗根忠次郞君は三浦丸に乗込み居りたるは確かなる樣なれども于今行衛不明なり大田■■君仲里金五郎君上里八藏君宮城貞秀君も乗込み居りたりと云ふものもあれば乗り込み居らさると云ふものもあり右列記之諸氏其他船客人名の分る丈至急御調越被下度候猶ほ右列記の諸君の内で名護其他の地方へ滞在之向へは至急御通知の上各自肉筆の通信を當方へ差出さる樣御配慮被下度候
十月十二日
仲吉朝助
此手紙は大塚郡長其他五六の人々に來た勿論僕宛のものもある
◎そこて始めて精しい消息が知れたものだから當地の騒動は一方でない就中共立銀行支店では上を下への混雑だ同店では兎に角店員一人を那覇に急派することにして僕も先つ一通の手紙を託すことにした
◎その間郵便局の前は安否問合せの電報を發せんとて大勢詰かけて居るが未だ不通である來た■脚を呼んで様子を聞いても十二日の夜九時頃頼りに汽笛が聞へるから行つて見ると三浦丸が沈没したと云ふ話丈げで其他の消息は一向わからない
◎何しろあの風雨を冒して急使を立てる位■だから■■で吾■の安否を氣遣つて居るのは大抵であるまいと思へば只少しも早く此方の様子を知らせたいと云ふ工夫の外には何の思慮もないその中電信が通したと云ふ知らせだから取敢へず一電を出した處がどうしたものか又不通になつて仕舞つた併し一旦■したからにはさう長く不通でもあるまいどうしても最も早く消息を傳へるのは電報だと極めこんで大抵五分十分毎に未だ開通しない■■と■合せると云ふ有様
◎六時頃になつて突然「電報」といふ聲が聞こへた居合わす人々も皆氣にたつて居るから直に受取り取る手遅しと開いて見ると渡久地政■からのもので「貴下の天佑を祝す」とある那覇局の受付時刻は午前十一時三十九分だ不通の爲に留め置かれたと見へる渡久地には三浦丸が當地を出た前日來遊を勸むも手紙を出して置いたから君其手紙に依つて僕が三浦丸に乗つて居ないことを判断したものと思はれる間もなく此方の電報も發し夜に入りて新報社から「貴下始め天來仲里宮城諸氏の健在を祝す」と云ふ來電に依り最早那覇にも吾々の健在なることが知れたと思ひ始めて安堵した
◎それからは續々諸方への來電があり夜通しに松明■照して那覇へ行くものもあれば尚ほ安否がわからないで夢中に駈廻つて聞合す親族朋友もあり見舞に歩行ものやら何やらで名護三ケは丸で都會の大晦日の樣だ夜の九時頃までに毎日の靑葉君の死体か發見されたと云ふことが先づ知れつヾいて平良保一仲宗根仲次郞二君の死体があがつたことが知れるに至つて僕はつくづく人生の無常を感した
◎十日に三浦丸が出帆する一時間位前の事だが僕は農學校を見舞ひ黒岩校長と前日の風害の話抔して居ると平良君と仲宗根君がやつて來て那覇に立つ暇乞をして僕■向ひどうだ一所に歸つてはと云ふから僕は天氣が直つたら一日二日釣興を飽してから歸ると云つて分かれたが是れが永別であつたと思へば誠に感慨に堪へない
◎農學校から歸ると銀行の支店に宮城貞秀君が居るから何日歸るかと聞へば今日の三浦で歸り積りであつたが大宜味君も頻に止めらるゝから何日明日の便に延ばすと云ふから僕も其方はよからうと話した又城間伴藏君は銀行の用で名護に居たら當然仲宗根君と一所に行くべき筈の處村人々から送別すると云ふので無理に引止められた爲船に間に合わず歸行したさうだ
◎彼是れ思ひ合はすと人間は運命の玩弄物だ吾々も■切をあげて運命の手に委ねて仕舞ったものと観念して居ればどんな處に處しても安心ものだ僕は急に運命論者になつて仕舞った

現代仮名遣い表記

◎十三日の名護
天南生
◎四五日も風雨がつづいたから堪らない、今日は晴れるか明日は穏かになるかと思うても、十二日までは只荒れまさるばかり。十三日に至って漸く雨も収まり風も和いで来たので、空の模様はまだ安心は出来なかったが、先づ非常の緊迫から始めて自由になった様な心得になり、朝起ると直に村内を一廻わりして帰って来ると、小使が十日に名護を出た三浦丸が那覇の港外で沈没したことを聞いて来た。
◎之を聞くと直ぐ警察署にかけつけて田中署長に聞くと、電信不通の為、那覇警察署から三浦丸が沈没して船客の死傷が多いが、乗込んだ船客の氏名を取調べてよ越せ、と云う飛脚が来たとの事。余が応接所に居るうち社の天來子も来り追々人々が大勢やって来る。
◎三浦丸は、十日午後一時前に名護を出発したが、当り前なら遅く■同日の午後五時過には那覇につくべき筈なるに、警察署よりの報知には船の破損は十一日の午後八時とある。然らばその間はどうして居たかと云うことについては、薩張り要領を得ない。
◎平良保一、仲宗根仲次郎の両君が乗こんだことは確かだから、共立銀行の支店に寄って聞いて見たら、仲宗根君からは何の便りもないが大兼久の島袋某からは十日の午後八時発で無事着いたと云う電報があったから、船が沈没したのは船客が上陸してから後の事であろう、仲宗根君も平良君も矢張り無事に上陸したろう、位いの事であったが、兎に角那覇では皆が心配して居る筈だから、名護発のイ便が今発送しようと云う所で、乗込船客の重なるものや天来子と僕が乗こまなかった事■認めて新報社へ出した。
◎処が午後の三時頃に至り、仲吉朝助君の急使が左の手紙を持って風雨を冒してやって来た。
 今朝三時、三浦丸那覇港に於て破損船員船客死亡者多し平良保一君、仲宗根忠次郎は三浦丸に乗込み居りたるは確かなる様なれども、于今行衛不明なり。大田■■君、仲里金五郎君、上里八藏君宮城貞秀君も乗込み居りたりと云ふものもあれば乗り込み居らさると云ふものもあり右列記之諸氏其他船客人名の分る丈至急御調越被下度候猶ほ右列記の諸君の内で名護其他の地方へ滞在之向へは至急御通知の上各自肉筆の通信を當方へ差出さる様御配慮していただきたいです。
十月十二日
仲吉朝助
此手紙は大塚郡長其他五六の人々に來た勿論僕宛のものもある
◎そこて始めて精しい消息が知れたものだから當地の騒動は一方でない就中共立銀行支店では上を下への混雑だ同店では兎に角店員一人を那覇に急派することにして僕も先つ一通の手紙を託すことにした
◎その間郵便局の前は安否問合せの電報を発せんとて大勢詰かけて居るが未だ不通である來た■脚を呼んで様子を聞いても十二日の夜九時頃頼りに汽笛が聞へるから行つて見ると三浦丸が沈没したと云ふ話丈げで其他の消息は一向わからない
◎何しろあの風雨を冒して急使を立てる位■だから■■で吾■の安否を氣遣つて居るのは大抵であるまいと思へば只少しも早く此方の様子を知らせたいと云ふ工夫の外には何の思慮もないその中電信が通したと云ふ知らせだから取敢へず一電を出した処がどうしたものか又不通になつて仕舞つた併し一旦■したからにはさう長く不通でもあるまいどうしても最も早く消息を傳へるのは電報だと極めこんで大抵五分十分毎に未だ開通しない■■と■合せると云ふ有様
◎六時頃になつて突然「電報」といふ聲が聞こへた居合わす人々も皆気にたつて居るから直に受取り取る手遅しと開いて見ると渡久地政■からのもので「貴下の天佑を祝す」とある那覇局の受付時刻は午前十一時三十九分だ不通の為に留め置かれたと見へる渡久地には三浦丸が當地を出た前日来遊を勧むも手紙を出して置いたから君其手紙に依つて僕が三浦丸に乗つて居ないことを判断したものと思はれる間もなく此方の電報も発し夜に入りて新報社から「貴下始め天來仲里宮城諸氏の健在を祝す」と云ふ来電に依り最早那覇にも吾々の健在なることが知れたと思ひ始めて安堵した
◎それからは続々諸方への来電があり夜通しに松明■照して那覇へ行くものもあれば尚ほ安否がわからないで夢中に駈廻つて聞合す親族朋友もあり見舞に歩行ものやら何やらで名護三ケは丸で都会の大晦日の様だ夜の九時頃までに毎日の青葉君の死体か発見されたと云ふことが先づ知れつヾいて平良保一仲宗根仲次郞二君の死体があがつたことが知れるに至つて僕はつくづく人生の無常を感した
◎十日に三浦丸が出帆する一時間位前の事だが僕は農学校を見舞ひ黒岩校長と前日の風害の話抔して居ると平良君と仲宗根君がやつて來て那覇に立つ暇乞をして僕■向ひどうだ一所に帰つてはと云ふから僕は天気が直つたら一日二日釣興を飽してから帰ると云つて分かれたが是れが永別であつたと思へば誠に感慨に堪へない
◎農学校から帰ると銀行の支店に宮城貞秀君が居るから何日帰るかと聞へば今日の三浦で帰り積りであつたが大宜味君も頻に止めらるゝから何日明日の便に延ばすと云ふから僕も其方はよからうと話した又城間伴藏君は銀行の用で名護に居たら当然仲宗根君と一所に行くべき筈の処村人々から送別すると云ふので無理に引止められた為船に間に合わず帰行したさうだ
◎彼是れ思ひ合はすと人間は運命の玩弄物だ吾々も■切をあげて運命の手に委ねて仕舞ったものと観念して居ればどんな処に処しても安心ものだ僕は急に運命論者になつて仕舞った