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◎眞敎寺の遺骸收容所

掲載年月日:1910/10/14(金) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎眞敎寺の遺骸收容所
午前中疑問の男死體
朝來各所に搜索を行ひたる結果垣の花附近にて發見したる死體は男女取雜せ數人に達したるが内引取人ありしものは撿視を了へ直ちに引渡されたるが一人の男體は住所姓名等不明につき眞敎寺に運はれ、本堂一隅に幕打ちはへ、莚を掩ひて其處に安臥せしめ心當りのもの尋合中なるが本堂中央には池畑廻漕店店主を始め仝業廻漕店員及ひ汽舩會社員等詰め切■、應接をなしつゝありき之れは昨日探し上げたる沖繩製糖の和田氏の爲め齋を勤めつゝあるのでありき、折しも押し寄せ來る老若男女寺門に■集して當日遭難不幸の有樣など同情の涙を絞りつ語り合ひ居たるか中にも誰云ふとなく右の遺骸が仲宗根忠次郎氏なるべしとの風評を聞きつけ圖書會社の大■彥五郎氏先つ駈けつけ來りてック〱と打見たりしが何分にも似つかわしからずとてスゴ〱出で行きぬ、間もなく共立銀行重役神村吉郎氏新垣盛善氏等匇惶として馳せ來りたるも見覺へなしと云ふ、其他誰彼れ一二心當りの話ありしがなれども■前の■に確たる見留も附かざりし、死體には田原老法師の必附けにて香など供へあり本日よりは■官一爾名附き添ひて取締も多少行屆ける■■なり、記者の一瞥したる所によれば、右の男體は
 全身水に膨れ
胴體は張り裂けん計りに大とくなり身體各所皮膚靡爛し白色を呈して一見白田虫の如く見ふるなど慘狀甚だし頭頂に三ッ口に開けたる傷口あり其の他にも傷を負ひたるが右頭頂の傷口は船の轉覆に際して墜落し逆まに岩礁に打ち附けたるにはあらずやと語るものありき顔も水に膨らみ、目は閉ちて糊の如き汁液眼窩より浸出せり、手は開き足は伸はされ、右の手首に廿五號と記されたる木札あり之れは檢案番號なるべしと云ふ、頬にはボウ〱と生へたる鬚の延ひたり、年齡は太凡三十三四位なるべしとも想はれたるが身丈は長からず寧ろ中脊の方ならむ、入り代り〱見に來る人の■には靑蠅飛んで靡爛せる皮膚に附くなど人世の無常一眼轉じ來れば悲慘の限りを蓋す此の世の影をあり〱ところ偲はれぬ、憐れ是れ誰か家の父ぞ、記者は此れ以上を書くに忍びす
 午語に至りて
毎日新聞記者宮城久保君の死體元水上署の附近にて發見せり今ま直ちに眞敎寺に來るべしとの報知に接し迎えの爲に飛で行きしも容易に運はれ來る模樣なきまゝ少時待つ間に本堂にて葬式の用意■爲■を見る聞けば前記和田氏の爲めに讀經をするなりと云ふ
 和田氏の葬式
には警察■長和田勇氏あり武石警視あり、其他會社■係の人々羽織袴にて威儀を正したる■■として貴くもあり記者も心から禮■し威に打たれぬ、斯くて本堂一隅の幕内を■けば、新たに到着の
 ■個の死體
あり棺に納まり番號を附しあり、其の内の三個は午前中に發見したるものゝ引取人なきものに属す、一個は沈沒船三浦丸の
 ボーイ
と云ふ今年十六才の少年あはれ職務に殉して無殘の最后を遂けしものかな、古賀社員代表して引取り、田原法主の讀經あり人夫に擔かれ埋葬地とは連れ行かれたり、他の三個は區役所にて假埋葬に附すと云ふ
 鳴呼人生の墓なき
は一寺の内に死して送られ來るものあり傍ら讀經を受くるものあり見るとして傷心の種ならざるはなく聞くとして酸鼻に堪へざるはなし、眞敎寺門來ると迎へ、行くを送る■な之れ一昨■來の惡天嶮候の爲激波猛濤に呑まれたる憐最后のものゝみなればなり、當日寺門の雜踏は悉く之れ此の酸鼻の記■の種にあらずや

現代仮名遣い表記

◎真教寺の遺骸収容所
午前中疑問の男死体
朝来各所に捜索を行いたる結果、垣の花附近にて発見したる死体は男女取雑せ数人に達したるが、内引取人ありしものは、撿視を了へ直ちに引渡されたるが、一人の男体は住所姓名等不明につき真教寺に運ばれ。本堂一隅に幕打ちはへ、莚を掩いて其処に安臥せしめ心当りのもの尋合中なるが、本堂中央には池畑廻漕店店主を始め、同業廻漕店員及び、汽船会社員等詰め切■、応接をなしつつありき、之れは昨日探し上げたる沖縄製糖の和田氏の為め斎を勤めつつあるのでありき。折しも押し寄せ来る老若男女寺門に■集して当日遭難不幸の有様など、同情の涙を絞りつ、語り合い居たるか中にも、誰云うとなく右の遺骸が、仲宗根忠次郎氏なるべしとの風評を聞きつけ、図書会社の大■彦五郎氏先づ駈けつけ、来りてつくづくと打見たりしが、何分にも似つかわしからずとて、すごすご出て行きぬ。間もなく共立銀行、重役神村吉郎氏、新垣盛善氏等、匇惶として馳せ来りたるも見覚えなしと云う。其他誰彼れ一二心当りの話ありしが、なれども■前の■には確たる見留も附かざりし、死体には田原老法師の必附けにて香など供へあり。本日よりは■官一爾名附き添いて、取締も多少行届ける■■なり。記者の一瞥したる所によれば、右の男体は
 全身水に膨れ
胴体は張り裂けん計りに大とくなり、身体各所皮膚靡爛し白色を呈して、一見白田虫の如く見うるなど、惨状甚だし、頭頂に三ッ口に開けたる傷口あり。其の他にも傷を負いたるが、右頭頂の傷口は船の転覆に際して墜落し、逆まに岩礁に打ち附けたるにはあらずやと語るものありき。顔も水に膨らみ、目は閉じて糊の如き、汁液眼窩より浸出せり。手は開き足は伸ばされ、右の手首に二十五号と記されたる木札あり。之れは検案番号なるべしと云う。頬にはボウボウと生えたる髭の延びたり、年齢は太凡三十三四位なるべしとも想はれたるが、身丈は長からず寧ろ中脊の方ならむ、入り代り入り代り見に来る人の■には青蝿飛んで、靡爛せる皮膚に附くなど、人世の無常一眼転じ来れば、悲惨の限りを蓋す。此の世の影をあり〱ところ偲ばれぬ、憐れ是れ誰か家の父ぞ、記者は此れ以上を書くに忍びす。
 午語に至りて
毎日新聞記者宮城久保君の死体、元水上署の附近にて発見せり。今ま直ちに真教寺に来るべしとの報知に接し、迎えの為に飛で行きしも、容易に運ばれ来る模様なきまま、少時待つ間に本堂にて、葬式の用意■為■を見る聞けば、前記和田氏の為めに読経をするなりと云う。
 和田氏の葬式
には警察■長和田勇氏あり、武石警視あり、其他会社■係の人々、羽織袴にて威儀を正したる■■として貴くもあり、記者も心から礼■し威に打たれぬ、斯くて本堂一隅の幕内を■けば、新たに到着の
 ■個の死体
あり棺に納まり番号を附しあり、其の内の三個は午前中に発見したるものの、引取人なきものに属す、一個は沈没船三浦丸の
 ボーイ
と云う。今年十六才の少年あわれ、職務に殉して無残の最後を遂けしものかな、古賀社員代表して引取り、田原法主の読経あり。人夫に担かれ埋葬地とは連れ行かれたり、他の三個は区役所にて仮埋葬に附すと云う。
 鳴呼人生の墓なき
は一寺の内に死して送られ来るものあり。傍ら読経を受くるものあり。見るとして傷心の種ならざるはなく、聞くとして酸鼻に堪えざるはなし、真教寺門来ると迎へ、行くを送る■な之れ。一昨■来の悪天険候の為、激波猛濤に呑まれたる。憐最后のもののみなればなり、当日寺門の雑踏は悉く、之れ此の酸鼻の記■の種にあらずや