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◎三浦丸の沈沒

掲載年月日:1910/10/13(木) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎三浦丸の沈沒
  死体の發見五名 行衛不明二十九名
吹き荒ぶ連日の暴風の爲め怒濤逆巻く那覇港外にて名護通ひの三浦丸(辰嶋丸改稱)が去る十日の晩に那覇港に入らんとして入る能はず三重城の沖に碇泊中激浪の爲めに沈没して船客と船員を合わせて二十九名の人々の生死の程も知れずなりたる大椿事こそ出來したれ、三浦丸は去る九日名護を出帆して那覇へ向け航行せんとしたるも風浪荒き爲め瀬底に避難して一夜を明かし翌日風の収まるを待つて名護に歸り十日の正午風少しく強かりしも左程の事はなかる可しと高を括りて茲に乗客四十六名を乗せて那覇へ向ふ事となりぬ然るに残波岬を過ぐる頃より風浪俄かに激しくなり船は廔は頓挫せんず有様なるに一同生きた心もなく如何になり行事かと心を千々に砕けども今更引き返へす可くもあらねばと午后五時頃漸く那覇港の入口まで來て見れば獨浪岸を噛んで頗る凄まじき光景なるが上に港内には宮嶋金澤の二隻碇泊中の事とて到底船を入るゝの望なきより一先づ三重城の外海に碇泊して風の収まるを待つ事となり錨を四つも卸して假碇泊を爲し居たるに錨は見るみる切断せられ船は木の葉のやうに弄ばれて何時顚覆するやも知れざるにぞ乗組の人々は最早や頼みの綱も切れ果てゝ唯死を待つばかりとぞなりたる
▲滊笛一聲悲惨の沈沒
斯かる間に日は全く暮れ果て咫尺を辯ぜぬ暗夜の中に船は風浪の爲めに翻弄せられて今にも奈落の底に沈まんとする有様なれば一同悲鳴を擧げて狂氣の如く立ち騒ぎ船は頻りに滊笛を鳴らして救を求めたるも其甲斐なく七時半三重城の北方岸上に乗上げアレヨアレヨと云ふ間もなく山の如き激浪に打たれて其の儘顚覆したるより一問必死となつて獨浪に洗はれなから板切れに縋がるもの陸を目掛けて泳ぎ出すもの悲鳴を擧げて救ひを求むるなど大騒動の中にも漸くにして陸に取り着き辛き生命取り止めたるもの二十八名に達せしが其外にも昨日の晩方迄に五名の死体を發見したる外猶ほ二十九名の行衛不明者ありき

現代仮名遣い表記

◎三浦丸の沈没
  死体の発見五名 行衛不明二十九名
吹き荒ぶ連日の暴風の為め怒濤逆巻く那覇港外にて名護通いの三浦丸(辰嶋丸改称)が去る十日の晩に那覇港に入らんとして入る能はず三重城の沖に碇泊中激浪の為めに沈没して船客と船員を合わせて二十九名の人々の生死の程も知れずなりたる大椿事こそ出来したれ、三浦丸は去る九日名護を出帆して那覇へ向け航行せんとしたるも風浪荒き為め瀬底に避難して一夜を明かし翌日風の収まるを待つて名護に帰り十日の正午風少しく強かりしも左程の事はなかる可しと高を括りて茲に乗客四十六名を乗せて那覇へ向ふ事となりぬ然るに残波岬を過ぐる頃より風浪俄かに激しくなり船は廔は頓挫せんず有様なるに一同生きた心もなく如何になり行事かと心を千々に砕けども今更引き返へす可くもあらねばと午後五時頃漸く那覇港の入口まで来て見れば独浪岸を噛んで頗る凄まじき光景なるが上に港内には宮嶋金沢の二隻碇泊中の事とて到底船を入るゝの望なきより一先づ三重城の外海に碇泊して風の収まるを待つ事となり錨を四つも卸して仮碇泊を為し居たるに錨は見るみる切断せられ船は木の葉のやうに弄ばれて何時顛覆するやも知れざるにぞ乗組の人々は最早や頼みの綱も切れ果てゝ唯死を待つばかりとぞなりたる
▲汽笛一声悲惨の沈没
斯かる間に日は全く暮れ果て咫尺を弁ぜぬ暗夜の中に船は風浪の為めに翻弄せられて今にも奈落の底に沈まんとする有様なれば一同悲鳴を挙げて狂気の如く立ち騒ぎ船は頻りに汽笛を鳴らして救を求めたるも其甲斐なく七時半三重城の北方岸上に乗上げアレヨアレヨと云ふ間もなく山の如き激浪に打たれて其の儘顛覆したるより一問必死となつて独浪に洗はれなから板切れに縋がるもの陸を目掛けて泳ぎ出すもの悲鳴を挙げて救ひを求むるなど大騒動の中にも漸くにして陸に取り着き辛き生命取り止めたるもの二十八名に達せしが其外にも昨日の晩方迄に五名の死体を発見したる外猶ほ二十九名の行衛不明者ありき