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◎仲村渠三浦丸船長の談

掲載年月日:1910/10/13(木) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎仲村渠三浦丸船長の談
昨日三浦丸船長仲村渠盛■氏を久茂地の自宅に訪ひたるも不在にて午后四時過ぎ通堂なる木村氏宅に於て面會し三浦丸沈沒に就き談話を求めたるに仲村渠氏は未だ疲勞の体にて記者の問ひに對し徐々として左の談話を試む
 昨夜七時過ぎでありました迚も船体を救助すること不可能と思ひましたから私はデツキにありまして強く檣を捕らまへながら水上署の前に進路を取れと命じました船体は碎けても乗込員丈助かれば宜ろしいと咄嗟の老へで斯様に命令を下しましたが不幸にも此時私の捕まつて居た檣が風にさらはれ夫れと瞬時に私も海中に飛ばされました氣が附いて鉄鎖を捕らへ船を目掛けて一生懸命泳いで居ました時其鉄鎖が切れましたから今は之までと其儘海中に漂つて居ましたがフト氣が附いて見れば水上署北方の海岸に着いて居るので四ツ這になりて陸に上りましたら又風の爲に今度は反對の方に吹き飛ばされた其時視界は眞黒で見えない暫くすると又氣がつき漸く四ツ這になりて一軒家に着いたが口が利けないので手眞似で漸く事情を通じ警察まで急報して貰ひました其の時船員が一人助かり二人助かり巡査も見えました時は漸く元氣がつき私は自ら警察署へ狀况を報告いたしました次第であります云々

現代仮名遣い表記

◎仲村渠三浦丸船長の談
昨日、三浦丸船長仲村渠盛■氏を久茂地の自宅に訪ひたるも不在にて、午後四時過ぎ、通堂なる木村氏宅に於て面会し三浦丸沈没に就き談話を求めたるに、仲村渠氏は未だ疲労の体にて、記者の問いに対し徐々として左の談話を試む。
 昨夜七時過ぎでありました。とても船体を救助すること不可能と思いましたから、私はデッキにありまして強く檣(ほばしら)を捕らまえながら、水上署の前に進路を取れと命じました。船体は砕けても乗込員だけ助かれば宜ろしいと、咄嗟の老へでその様に命令を下しましたが、不幸にもこの時私の捕まって居た檣(ほばしら)が風にさらわれ、それと瞬時に私も海中に飛ばされました。気が付いて鉄鎖を捕らえ、船を目掛けて一生懸命泳いで居ました時、その鉄鎖が切れましたから、今は之までとそのまま海中に漂って居ましたが、フト気が付いて見れば水上署北方の海岸に着いて居るので四ツ這になりて陸に上りましたら、又風の為に今度は反対の方に吹き飛ばされたその時、視界は真黒で見えない。しばらくすると又気がつき、ようやく四ツ這になりて一軒家に着いたが口が利けないので手真似でようやく事情を通じ、警察まで急報して貰いました。其の時、船員が一人助かり二人助かり巡査も見えました時はようやく元気がつき、私は自ら警察署へ状況を報告いたしました次第であります、云々。