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◎遭難の人々

掲載年月日:1910/10/13(木) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎遭難の人々
平良保一、仲宗根忠次郞
宮城久保諸氏の行衞不明
別項記載の沈沒三浦丸に乘り込みたる人々の中社會に相當名を知られたる人としては平良保一氏仲宗根忠次郞の兩縣會議員及び沖繩每日新聞の記者宮城久保の三氏■かに乘込み居るものと信ぜられつゝあり名護への電報不通となりたれば事の實否は判然せざるも生存せる船員及び乘客の話を綜合すれば三氏とも乘り込み居りしに相違なきも今日迄行衞の不明なる所を見れば域は風浪の爲め上陸する能はず悲慘の最後を遂げしにはあらずやと噂せられつゝあり因に沖繩每日新聞の事務員比嘉賢降氏も亦仝船に乘り込み居りし由なるとも之亦た行衞不明なりと萬死の裡に危難を逃れ得たるを祈念するの情に切なり

現代仮名遣い表記

◎遭難の人々
平良保一、仲宗根忠次郎
宮城久保諸氏の行衛不明
別項記載の沈没三浦丸に乗り込みたる人々の中、社会に相当名を知られたる人としては、平良保一氏、仲宗根忠次郎の両県会議員及び、沖縄毎日新聞の記者宮城久保の三氏■かに乗込み居るものと信ぜられつつあり、名護への電報不通となりたれば、事の実否は判然せざるも、生存せる船員及び乗客の話を綜合すれば、三氏とも乗り込み居りしに相違なきも。今日迄行衛の不明なる所を見れば域は風浪の為め、上陸する能はず悲惨の最後を遂げしにはあらずやと、噂せられつつあり因に沖縄毎日新聞の事務員比嘉賢降氏も、亦同船に乗り込み居りし由なるとも之亦た行衛不明なりと、万死の裏に危難を逃れ得たるを祈念するの情に切なり。