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◎船長の責任如何

掲載年月日:1910/10/13(木) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

◎船長の責任如何
三浦丸難破に關する仝社舩仲村渠氏の談話は別項記載の如くなるが仝しく遭難者の一人たる嶋袋加二氏の憤慨して語る所によれば仝舩の危難に至るまで舩長は乘客に對して一言の注意を興へたるを聞かず自分は舩體破壞の後ち事の容易ならざるを知り僅かに身を以て逃れ他に一二人を舩■より誘ひ出したる有樣なり云云此談話によりて見れば此の危難に際し船長には船員に對すし果して幾何の責任を盡したるや疑問に屬せざる能はざる者ありと云ふべし兎に角不可抗力の然らしむる所なりとは云へとも乘込員四拾六名中行衛不明二十五名死者五名を出し船員は十六名の中十二の生存者を出したりなんとは素より時の評子にもよるべからんも這般の疑義は此の闇の消息によりも免かれ得ざる所なるべき歟精探の上重ねて記する所あるべしと云ふ

現代仮名遣い表記

◎船長の責任如何
三浦丸難破に関する同社舩仲村渠氏の談話は別項記載の如くなるが、同しく遭難者の一人たる嶋袋加二氏の憤慨して語る所によれば、同船の危難に至るまで船長は乗客に対して一言の注意を興えたるを聞かず。自分は船体破壊の後ち事の容易ならざるを知り、僅かに身を以て逃れ他に一二人を船■より誘い出したる有様なり。云云此談話によりて見れば、此の危難に際し船長には船員に対すし果して幾何の責任を尽したるや、疑問に属せざる能はざる者ありと云うべし。兎に角不可抗力の然らしむる所なりとは云えども、乗込員四十六名中、行衛不明二十五名死者五名を出し。船員は十六名の中十二の生存者を出したりなんとは素より、時の評子にもよるべからんも這般の疑義は、此の闇の消息によりも免かれ得ざる所なるべき歟精探の上重ねて記する所あるべしと云う。