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◎生存者の氏名と溺死者の氏名
原文表記
◎生存者の氏名と溺死者の氏名
三浦丸乗込員及舩客の數を合すれば六十二名にして其の中十六名は船員四十六名は船客なるが此の四十六名の船客は乗舩切符を買受けたる數にして外に子供の無賃の舩客ありたりとの■なれば其實船客人數は■十六名以上に達すべく現に生存者中に今年四歳及七歲の子供もありて是等は凡て無運賃の船客なりしと云ふ昨日午後五時三十分までに知れたる生存者及溺死者の氏名を左に記す
▲船客生存者十六名
國頭郡大宜味村字登野喜屋 平良 保善
仝郡仝村字仝 松本 松吉
仝郡仝村字仝 嶋袋 太郞
仝 仝 ウシ(一九)
仝郡仝村字仝鹽屋屋號 德 門 龜
仝 仝 オト(四つ)
仝郡久志村字嘉陽 當銘 三郞(三三)
仝郡名護村字大兼久 宮里 某(三四)
首里區字町■ 島袋 山
國頭郡名護村字大兼久 指名不祥(三五六)
仝郡名護村字大兼久 山口 某(三四)
那覇區字東 嶋袋如二(三三)
國頭郡名護村字大兼久 宮里 龜
仝 仝 松(七つ)
仝郡名護村字名護東り屋號 牧港屋ウシ
島尻郡糸滿町 氏名不詳(十八九)
船客の溺死者五名
國頭郡久志村字嘉陽三一一 當銘オト(■五)
那覇區字泉崎喜太村方 和田享次郞(五二)
首里區字真和志 髙嶺 某(五二)
氏名不詳婦人(四十五六)
氏名不詳婦人(二十五六)
▲船員の生存者十二名
船 長 仲村渠盛綠
機關長 麓 義 則
火夫見習 仝 義次
水夫長 椿 正 市
油 差 仲村渠仁王
水 夫 又吉 眞幸
仝 市田 盛三
仝 石川梅太郞
火 夫 奥 富齊
炊 事 具志頭得長
ボーイ 石川 龜
仝 仲村渠 龜
▲船員の行衛不明者
水夫長 藤崎正之助
水 夫 池原 次郞
事務員 幸地 良堅
ボーイ 村山 武盛
以上は生存者溺死者及船員行衛不明者の判明せる氏名にして之によりて見れば舩客の行衛不明になりたる數廿五名にして仝船員四名の行衛不明者を合すれば總人數二十九名は未だ生死不明なり木村回漕店に於ては昨日中引續き死体搜索をなしつゝありたり
現代仮名遣い表記
◎生存者の氏名と溺死者の氏名
三浦丸乗込員及船客の数を合すれば、六十二名にして其の中十六名は、船員四十六名は船客なるが、此の四十六名の船客は、乗船切符を買受けたる数にして、外に子供の無賃の船客ありたりとの■なれば、其実船客人数は■十六名以上に達すべく。現に生存者中に、今年四歳及、七歳の子供もありて、是等は凡て無運賃の船客なりしと云う。昨日午後五時三十分までに知れたる生存者及、溺死者の氏名を左に記す。
▲船客生存者十六名
国頭郡大宜味村字登野喜屋 平良 保善
同郡同村字同 松本 松吉
同郡同村字同 嶋袋 太郎
同 同 ウシ(一九)
同郡同村字同塩屋屋号 徳 門 亀
同 同 オト(四つ)
同郡久志村字嘉陽 当銘 三郎(三三)
同郡名護村字大兼久 宮里 某(三四)
首里区字町■ 島袋 山
国頭郡名護村字大兼久 指名不祥(三五六)
同郡名護村字大兼久 山口 某(三四)
那覇区字東 嶋袋如二(三三)
国頭郡名護村字大兼久 宮里 亀
同 同 松(七つ)
同郡名護村字名護東り屋号 牧港屋ウシ
島尻郡糸満町 氏名不詳(十八九)
船客の溺死者五名
国頭郡久志村字嘉陽三一一 当銘オト(■五)
那覇区字泉崎喜太村方 和田享次郎(二五)
首里区字真和志 髙嶺 某(五二)
氏名不詳婦人(四十五六)
氏名不詳婦人(二十五六)
▲船員の生存者十二名
船 長 仲村渠盛緑
機関長 麓 義 則
火夫見習 同 義次
水夫長 椿 正 市
油 差 仲村渠仁王
水 夫 又吉 真幸
同 市田 盛三
同 石川梅太郎
火 夫 奥 冨斎
炊 事 具志頭得長
ボーイ 石川 亀
同 仲村渠 亀
▲船員の行衛不明者
水夫長 藤崎正之助
水 夫 池原 次郎
事務員 幸地 良堅
ボーイ 村山 武盛
以上は生存者溺死者及船員行衛不明者の判明せる氏名にして、之によりて見れば船客の行衛不明になりたる数二十五名にして同船員四名の行衛不明者を合すれば、総人数二十九名は未だ生死不明なり。木村回漕店に於ては、昨日中引続き死体捜索をなしつつありたり