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尖閣列島に於ける古賀辰四郞君の/ 事業に就きて

掲載年月日:1910/4/19(火) 明治43年
メディア:琉球新報社 1面 種別:記事

原文表記

尖閣列島に於ける古賀辰四郞君の事業に就きて
     琉球新報 明治四十三年四月十九日

農學博士玉利喜造■談
泰 ■ 吉筆記
本月七日八重山西表より球陽丸に便乘して尖閣列島の視察に出掛けた航路八十八浬十時間にて八日午前和平山に着した眞に画の如く何とも言へぬ景色のよいところである船を東の方に廻はして午前十時鰹船にて上陸した直に全島の二分の一位の處迄巡視して後此島の事務所の最高き眺望絶佳の別莊に導かれて一泊した翌九日又球陽丸に乘りて黄尾島に赴んとす發せんとするに臨み事務員篠原喜平次澤敬■等頻りに何か記念の爲に彼の別莊に命名せられんことを博士に請ひしに博士は筆太く■覺樓とモミの木の板の額に揮毫せられた博士の號は混■である實に■白い午前九時和平山を出て午后一時黄尾島に着陸視察后再■和平山に來り午后九時發十日の朝又西表に歸つた様な次第である何れこの記行の委しいことは追て敎育雜誌に出すべきも左に博士の談を紹介ん(筆記者)
扨第一敬服するところは世には流行的會社事業等例へば■■會社弥は其中にても最も甚しかりきかゝる風潮の渦中に投せず毅然として遙かに掛け離れて此嶋の事業に着眼したところは如何にも威服である
第二は終始一貫絶えず無人島經營の精神を以て出願し遂に今日の獨占事業となしたる点である
第三は着手以後非常の困難に打■ち所謂七轉八倒不撓不屈の精神を以て今日の成功をしたものと思ふ人には何の事業でも此精神がなくてはならぬ此点に就て實に古賀氏はえらいものぢや
第四は種々の方面に着手し從て費用を要すること多大なり人二三人連れ行くも何から何迄供給せねはならぬ例へは去年十月以來百數十人の歳越しを爲さしめたるか如き實に容易のことにあらす之を能く維持して行かるゝ点は威服なり
之を要するに和平山は火山より成れる太古岩なれは殖林開墾なとは如何と■ふ依て信天翁なと能く保護し尚鰹漁なども十分只今よりも一層港の開拓其他萬事擴張せられなは結構と慰ふ
■嶋に於て今後肥料の成分面積等は未だ知らざれども恒藤博士や松岡學士等の調査の結果定めて好成績ならんと自分は信ずるか若し果して之に十分の望みありとすれば是■■大變の利益なり鳥の糞尿より出つる利益を保護せば實に限りかない其程度は尚研究の結果を待つの外なきも之れが爲め古賀氏は永久の利益を受くるならんと思はる元來地に落したる鳥の糞尿故に甚しく濃厚のものにはあらざるべく唯肥にたる土と言ふに過きさるべきも利益は莫大のものと思ふ黄尾嶋は土地肥え粘土質故に比處にて開墾なり農業なりやるは大に可なり併し困ることには鳥の保護繁殖と開墾とは兩立し難い■に思はるゝ
元來予の考へにては小嶋に鳥多しとすれば而して其肥土を十分の分量を採集する見込あらは開墾なり漁業なり一切此小島にては禁止し凡て人跡の至らぬ様にしたいと思ふ而して開墾は黄尾嶋の方に全力を注かれんことを希望する
(右は博士の検閲を經たるものなり)

現代仮名遣い表記

尖閣列島に於ける古賀辰四郞君の事業に就きて
     琉球新報 明治四十三年四月十九日

農学博士玉利喜造■説
泰 ■ 吉筆記
本月七日、八重山西表より球陽丸に便乗して尖閣列島の視察に出掛けた。航路八十八里十時間にて、八日午前和平山に着した。真に画の如く何とも言えぬ景色のよいところである。船を東の方に廻わして午前十時、鰹船にて上陸した。直に全島の二分の一位の処迄巡視して後、此島の事務所の最高き眺望絶佳の別荘に導かれて一泊した。翌九日、又球陽丸に乗りて黄尾島に赴んとす。発せんとするに臨み、事務員篠原喜平次澤敬■等頻りに何か記念の為に彼の別荘に命名せられんことを博士に請いしに、博士は筆太く■覺樓とモミの木の板の額に揮毫せられた。博士の号は混■である。実に面白い。午前九時和平山を出て午後一時黄尾島に着陸。視察後再■和平山に来り、午後九時発、十日の朝又西表に帰った様な次第である。何れこの記行の委しいことは追て教育雑誌に出すべきも左に博士の談を紹介ん。(筆記者)
扨第一敬服するところは、世には流行的会社事業等例えば■■会社弥は其中にても最も甚しかりき。かゝる風潮の渦中に投せず、毅然として遙かに掛け離れて此島の事業に着眼したところは如何にも威服である。
第二は終始一貫絶えず無人島経営の精神を以て出願し、遂に今日の独占事業となしたる点である。
第三は着手以後非常の困難に打■ち、所謂七転八倒不撓不屈の精神を以て今日の成功をしたものと思う。人には何の事業でも此精神がなくてはならぬ。此点に於て実に古賀氏はえらいものぢゃ。
第四は種々の方面に着手し、従て費用を要すること多大なり。人二、三人連れ行くも何から何迄供給せねばならぬ。例えば去年十月以来百数十人の歳越しを為さしめたるが如き実に容易のことにあらず。之を能く維持して行かるゝ点は威服なり。
之を要するに和平山は火山より成れる太古岩なれば、殖林開墾などは如何と■う。依て信天翁など能く保護し、尚鰹漁なども十分只今よりも一層港の開拓、其他万事拡張せられなば結構と思う。
■島に於て今後肥料の成分面積等は未だ知らざれども、恒藤博士や松岡学士等の調査の結果、定めて好成績ならんと自分は信ずるが、若し果して之に十分の望みありとすれば是■■大変の利益なり。鳥の糞尿より出づる利益を保護せば実に限りがない。其程度は尚研究の結果を待つの外なきも、之れが為め古賀氏は永久の利益を受くるならんと思わる。元■地に落したる鳥の糞尿故に甚しく濃厚のものにはあらざるべく唯肥にたる土と言うに過ぎざるべきも、利益は莫大のものと思う。黄尾島は土地肥え粘土質故に、比処にて開墾なり農業なりやるは大に可なり。併し困ることには鳥の保護繁殖と開墾とは両立し難い■に思わるゝ。
元来余の考えにては、小島に鳥多しとすれば、而して其肥土を十分の分量を採集する見込あらば、開墾なり漁業なり一切此小島にては禁止し、凡て人跡の至らぬ様にしたいと思う。而して開墾は黄尾島の方に全力を注がれんことを希望する。
(右は博士の検閲を経たるものなり)