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●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其九)

掲載年月日:1910/1/14(金) 明治43年
メディア:沖縄毎日新聞社 2面 種別:記事

原文表記

●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其九)
▲冲の神島の探險及其經營
冲の神島は東經百二十三度三十三分、北緯二十三度十三分に在る無人の一小孤島にして、曩にも古賀氏はその實地探險を試みたる事ありしが同島は水禽群棲し沿岸は又海產物に豊富なるを以て劃策其の宜しきを得ば必ず有望の地たらんと認め直ちに其の許可を請願したるに明治十八年一月之が許可を得目下同島には出稼勞働者二十三名、監督二名を派遣して之れが經營に着手せり此島に於ける一般の規模は凡て尖閣列島の範にに則り居れり
▲冲の神嶋事業梗槪
冲の神嶋經營認可を得たりし當時は諸他の設計に多忙なりしが故に其の翌年乃ち明治三十九年三月より經營に着手せり而して同嶋は八重山郡西表嶋を距ること西方僅かに七海里過ぎざるを以て傅馬船二艘刳舟五艘を以て交通機關に充用し同年七月には廣運株式會社所有船球陽丸を特派四十年八月に至りて更に汽船辰島丸を派遣せり而して氏が同嶋經營に着手以來日尙ほ淺く此の間未だ投資のみにして純益なしと雖ど採取せる產物の種類及價格は左の如し水禽剥製六萬羽一羽十四錢にして八千四百圓、鳥肉肥料一万四千斤、一斤四錢八厘にして六百七十二圓、鳥油七十函一函三圓にして二百二十四圓、其の他の海產物一千六百圓、合計一万〇八百九十六圓なりと

現代仮名遣い表記

●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其九)
▲沖の神島の探検及其経営
沖の神島は東経百二十三度三十三分、北緯二十三度十三分に在る無人の一小孤島にして、曩にも古賀氏はその実地探険を試みたる事ありしが、同島は水禽群棲し、沿岸は又海産物に豊富なるを以て画策。其の宜しきを得ば、必ず有望の地たらんと認め、直ちに其の許可を得、目下同島には出稼労働者二十三名、監督二名を派遣して之れが経営に着手せり。此島に於ける一般の規模は凡て、尖閣列島の範にに則り居れり。
▲沖の神島事業梗概
沖の神嶋経営認可を得たりし、当時は諸他の設計に多忙なりしが故に、其の翌年乃ち、明治三十九年三月より経営に着手せり。而して同嶋は、八重山郡西表嶋を距ること西方僅かに、七海里過ぎざるを以て、伝馬船二艘、刳舟五艘を以て交通機関に充用し、同年七月には広運株式会社所有船球陽丸を、特派四十年八月に至りて更に、汽船辰島丸を派遣せり。而して氏が同嶋経営に着手以来日尚お浅く、此の間未だ投資のみにして、純益なしと雖ど採取せる産物の種類及価格は左の如し。水禽剥製六万羽、一羽十四銭にして八千四百円。鳥肉肥料一万四百斤、一斤四銭にして六百七十二円。鳥油七十箱、一箱三円にして二百二十四円。其の他の海産物千六百円。合計一万八百九十六円なりと。