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●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其二)
原文表記
●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其の二)
▲無人島探險■志望
古賀氏が無人島探險の志望は國家的福利を進めんと欲する一念によりて益々熱心の度を高むるに至れり殊に本県下に來りて地理形勢を觀察し且つ当時に於る淸國と■國際關係上より考ふるも從來帝國臣民■着手せざりし附近の属島に對して殖民的經營を始むるは最も切要の業なりと信じたるを以て爾來これが探險の志望を抱き只管機會の到來を竢ちたり氏は先づ無人島探險の尋常ならざるを知れり且つ十二年以來經營の事業は歳月と共に複雜多端に■けるを以て初志を確實に貫徹せんが爲めには永住■經營を爲す■必要を認め明治二十八年本籍を此の地に移し専心斯業に從事すること■せり然るに是等事業の發達を助くるに最も必要なる交通機關は願る不便を極め僅に定期郵便船として一二小氣船の大阪那覇八重山間を往復するあるのみ而かも其の一航海は常に月餘を要し加ふるに歸着時間の不規則不正確實に言語に絕えするの有樣なりしが爲めに運輸品の遅着停滯は普通の事にして商機を誤り失敗の悲運に遭遇せしこと■に一再に正まらざりぎざれど氏は唯々晩成の二字を心に銘し斯業の爲めに幾多の奮闘を重ねたり
▲尖閣列島の探險
抑も尖閣列島は東經百二十三度北緯二十五度の洋中に在る業爾たる無人の小列島にして恰も沖縄本島と清國福州との航路中央に位し其列島は釣魚島、黄尾島、南(北)小島の四個の小島よりなれり。
氏は其の島嶼の位置に鑑み同嶋に殖民的經營の必要あるを認め明治十七年始めて人を派遣し該嶋の實況を探險せしめたり而して
保險者の報告により同嶋の事業の經營に適せること及び其の嶋嶼の形成の大要を知ることを以て多■の宿望を達するの機會到■■とな■更に人を派し試みに同島に於ける鳥毛及び海產物の採捕を爲めさしめた■斯くて同島に於ける是等の產物は外國輸出品として適當なるのみならず内地に於ても相當の賣行なる物品のみ■■■を以て爾來十有餘年の間年々勞働者を派遣し其の採捕に怠る所■らさりしが明治二十八年に至りて該島の事業大に起すべき機會■到來せしを以て自ら小艇を■■し實地探險に赴けり此行風濤險惡にして航行甚だ危險なりしも辛ふじて列島中の一嶼に上陸することを得たり則ち同島を視察するに樹木は繁茂し原野耕すべく無數の水禽は群棲して手もて捕ふべく沿岸亦海產物に富み■途甚だ有望なるを覺知し之れが劃策の念愈々切なりき右視察したる列島には大なるものなり其面積は一は約四方里に達し他は一方里あり大なるものを魚釣島一名和平山といひ小なるを久場嶋一名黄尾嶋といふ■初探險當時上陸したるは乃ち列嶋中の久場島なりとす
現代仮名遣い表記
艆●琉球群島に於ける古賀氏の功績(其の二)
▲無人島探険■志望
古賀氏が無人島探険の志望は、国家的福利を進めんと欲する一念によりて、益々熱心の度を高むるに至れり。殊に本県下に来りて、地理形勢を観察し、且つ当時に於る清国と■国際関係上より考うるも、従来帝国臣民■着手せざりし、附近の属島に対して殖民的経営を始むるは、最も切要の業なりと信じたるを以て、爾来これが探険の志望を抱き、只管機会の到来を竢ちたり氏は、先づ無人島探険の尋常ならざるを知れり。且つ十二年以来経営の事業は歳月と共に、複難多端に■けるを以て、初志を確実に貫徹せんが為めには永住■経営を画す■必要を認め、明治二十八年本籍を此の地に移し、専心斯業に從事すること■せり。然るに是等事業の発達を助くるに最も必要なる交通機関は、願る不便を極め僅に定期郵便船として、一二小気船の大阪、那覇、八重山間を往復するあるのみ。而かも其の一航海は常に月余を要し、加うるに帰着時間の不規則、不正、確実に言語に絶えするの有様なりしが為めに、運輸品の遅着停滞は普通の事にして商機を誤り、失敗の悲運に遭遇せしこと■に、一再に正まらざりぎ、されど氏は唯々晩成の二字を心に銘し、斯業の為めに幾多の奮闘を重ねたり。
▲尖閣列島の探険
抑も尖閣列島は、東経百二十三度、北緯二十五度の洋中に在る。業爾たる無人の小列島にして恰も、沖縄本島と清国福州との航路中央に位し、其列島は釣魚島、黄尾島、南(北)小島の四個の小島よりなれり。
氏は其の島嶼の位置に鑑み、同嶋に殖民的経営の必要あるを認め。明治十七年、始めて人を派遣し、該嶋の実況を探険せしめたり、而して
保険者の報告により、同嶋の事業の経営に適せること及び、其の嶋嶼の形成の大要を知ることを以て、多■の宿望を達するの機会到■■とな■更に人を派し試みに、同島に於ける鳥毛及び、海産物の探捕を為めさしめた■斯くて同島に於ける、是等の産物は外国輸出品として適当なるのみならず、内地に於ても相当の売行なる物品のみ■■■を以て、爾来十有余年の間年々労働者を派遣し、其の採捕に怠る所■らさりしが、明治二十八年に至りて、該島の事業大に起すべき、機会■到来せしを以て、自ら小艇を■■し実地探険に赴けり、此行風濤険悪にして、航行甚だ危険なりしも、辛ふじて列島中の一嶼に、上陸することを得たり。則ち同島を視察するに樹木は繁茂し、原野耕すべく無数の水禽は群棲して手もて捕ふべく、沿岸亦海産物に富み■途甚だ有望なるを覚知し、之れが画策の念、愈々切なりき右視察したる列島には、大なるものなり。其面積は、一は約四方里に達し、他は一方里あり、大なるものを魚釣島一名和平山といい、小なるを久場嶋一名黄尾嶋という。■初探険当時上陸したるは、乃ち列嶋中の久場島なりとす。