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◎古賀氏の披露宴
原文表記
◎古賀氏の披露宴
區内字四古賀辰四郞氏が明治十二年本縣に來住したるより千辛萬苦を甞めて海產物の開拓に尽瘁し兼ねて縣内古來の商業思想に一新機轉を與たへたる程の事蹟に就ては今更喋■するまでもなきことなるが氏が堅忍不抜の心を以て多年間絶海無人の嶋嶼たる尖閣列嶋を經營して今は有利のもとなし、諸種の海産を興し山林の開拓を試み遂に四百餘名の移住民の基礎を定め將來益々發展の見込あるに就ては取も直さず國益增進■功なりと云ふの外なし右に就ては縣當局者よりも其の筋に禀請の次第もありたるが中央當局に於ても篤と調査を重ねたる上古賀氏の性行及び事業認識するに至りて此の程藍綬褒章を賜へること過日の本紙報道する如くなるが古賀氏は之を以て一身の名譽とするのみならず大方の各位の庇護に基くものなりとなし右名譽の披露を兼ねて、一場の挨拶をなすべく明二十九日午后五時より風月樓に於て交友及び知名紳士の招宴を開くと云ふ實業家として國家の雄表を受くべきもの我國に於ては藍綬章の外に何ものもなし而して其の貴きことは佛のレジェンドノールににも優るとも劣ることゝてはあるべからず去れば如斯き旌表に與かる事業上の功績を者し得たるは旁々我が縣下の一面目なりと云ふべしと也
現代仮名遣い表記
◎古賀氏の披露宴
区内字四、古賀辰四郎氏が明治十二年本県に来住したるより、千辛万苦を甞めて、海産物の開拓に尽瘁し兼ねて、県内古来の商業思想に、一新機転を与たへたる程の事跡に就ては、今更喋■するまでもなきことなるが、氏が堅忍不抜の心を以て、多年間絶海無人の嶋嶼たる、尖閣列嶋を経営して、今は有利のもとなし。諸種の海産を与し、山林の開拓を試み、遂に四百余名の移住民の基礎を定め、将来益々発展の見込あるに就ては、取も直さず、国益増進■功なりと云うの外なし。右に就ては、県当局者よりも其の筋に、禀請の次第もありたるが、中央当局に於ても、篤と調査を重ねたる上、古賀氏の性行及び事業認識するに至りて、此の程藍綬褒章を賜へること、過日の本紙報道する如くなるが、古賀氏は之を以て、一身の名誉とするのみならず、大方の各位の庇護に、基くものなりとなし、右名誉の披露を兼ねて、一場の挨拶をなすべく、明二十九日午後五時より、風月楼に於て、交友及び知名紳士の招宴を開くと云う。実業家として国家の雄表を受くべきもの、我国に於ては、藍綬章の外に、何ものもなし而して、其の貴きことは、仏のレジェンドノールににも優るとも、劣ることとてはあるべからず。去れば如斯き旌表に、与かる事業上の功績を者し、得たるは旁々我が県下の一面目なりと云うべしと也。