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砂糖及水產の實際問題(一)
原文表記
砂糖及び水產の實際問題(一)
世上實際問題の多き、砂糖や水產にのみ限らず、然れども、縣下目今の處に於て砂糖の改良論、水產の奬勵説は他に比し割合に活氣を帶びて唱道せられつゝあり、然れども其の説く所の多くは概括論にして主として抽象的なるの嫌なからず、一例を以て言はば、現在の黒糖を改良して今少しく上等品となすべしとか、縣下は環海の嶋國なれば、四界の萬濤を開拓して利源を水產に求むべしとか云ふが如き論旨は既に久しく繰返され、苟くも常識あるものならば誰れも異存なき所のものたり、而して今ま一歩を進めたる論者中彼此先後緩急の説を爲すもの、又たなきにあらざるも、之れとても要するに概言以て其の緩急を論評せんとするに過ぎず、詮するに是等概ね空論にして實地の用に適せざる也、否な少なくとも産業政策上の指鍼たり、縣下民人の據つて向ふ所を定めしむるものとしては餘りに磁力に乏しき感なき能はず、吾人は之を以て空谷の跫音として聽くことあるべし、然れども之れにより山彦を呼び起し來らんには今ま少しく力ある聲音たらしめざるべからずと想ふ
當今の世界一瞥したる處に於て斯る概括論は各所各人によりて唱へられ、砂糖の品質を黒糖より赤糖に昇すの通勢に乘するものたるは比較上之を知るに足る材料は決して一ならざる也、四面環海の嶋國が天涯茫々の裡にある水產を興すによりて利を見ることは多くの人之を知ざるにあらざる也、然れども如何にして現在を轉換し來るべきやは實地上の議論ならざるべからず、換言すれば、黒糖對赤糖論は議論としては決して異存あるにあらざるも如何にして黒糖を赤糖に乗り換ふべきかは斯業家の念頭を支配する最大最重の問題たると仝時に水產に於ても又た然りとす、水產興すべき準備なきもの、而して又た其の一切の條件の具備せざるものに倚りて、單純に水產の有利を説きたりとて、人心を興奮せしめ來ふこと能はざるべしと想ふは如何、人は時により、向ふの雁よりも手前の雀を捕ふるの止なき塲合あり、向ふの雁が好ましからざるにあらず、手前の雀の捕へ易き也、虻蜂取らずとは實地に當て鉗め興味ある俚諺ならずや他なし、雁雀併せ失ふは一雀の利あるに如かざればなり
吾人は黑赤糖對比を以て雁雀の如く斯かく評せんとするものにあらず、水産の興否を以て虻蜂論と比せんとするものにあらざれども、若し助言者ありて、其の何れをか擇ふへしと云ふものはあらば、擇ぶに至る利害損失の詳細なる具體の論を示さゞるべからず、一概に試みたる抽象論のみにて人心は容易に動くものにあらざればなり、故に吾人は想ふ、以上の如き概括的抽象論の時代は縣下に於て經過せり、輿衆は既に聽き飽けり今日は既に政策上實地の問題を研究すべき時に達せり、世に若し黒糖赤糖論を試みんとするものあらば、其の人は寧ろ黒糖業者をして赤糖に移るに有利な具體の條件を示さゞるべからず、水産興すべしと論するものは、如何にせば水産興し來るべきかを考へざるべからず、一挺優に六七圓臺の市價を維持せるのみならず、數百年來縣民の嗣業となれる黒糖を赤糖に乗換ふるに就いては、其の間多少の變遷混雜をも期せざるべからず、變遷とは事業上の變遷にして、混雜とは經濟上の混雜なり、是等豫期の事頃を如何に圓滑に經過せしむべきかは、赤糖論者の責任として論究 示摘し來るべき筈のものならん
現在縣下の黒糖は今や其の絶頂に達せり、若し之を改良するにあらざれば將來の見込みも覺束なしとは吾人平素の所見なりとす、况んや今日以上製糖力を增加せんとするに於ては少なくとも赤糖論位は持出し來らざるべからずとは、之れ又吾人年來の持論の一なりとす、赤糖論に聊か異存あるにあらず、然れども今は既に其の概論は終結せり、今後は其の本論を聽かんとするの情に切なり、本論とは即ち此の概念を受け來りたる有體詳細の議論なりとす、平たく言えば如何にせば移り得べきか將た又赤糖を製出し得べきかにありモ少し進んで言はば、赤糖を作らしむるに便利なる道を開き與へ且つ誨へ、之を導くにあり乃ち政策上實■の施設を講ずるにあり■す
現代仮名遣い表記
砂糖及び水産の実際問題(一)
世上実際問題の多き、砂糖や水産にのみ限らず。然れども、県下目今の処に於て砂糖の改良論、水産の奨励説は他に比し割合に活気を帯びて唱道せられつつあり。然れども其の説く所の多くは概括論にして、主として抽象的なるの嫌なからず。一例を以て言わば、現在の黒糖を改良して今少しく上等品となすべしとか。県下は環海の島国なれば、四界の万濤を開拓して利源を水産に求むべしとか云うが如き、論旨は既に久しく繰返され、苟くも常識あるものならば誰れも異存なき所のものたり。そうして今ま一歩を進めたる論者中、彼此先後緩急の説を為すもの又たなきにあらざるも、之れとても要するに概言以て其の緩急を論評せんとするに過ぎず、詮するに是等概ね空論にして実地の用に適せざる也。否な少なくとも産業政策上の指鍼たり、県下民人の拠って向う所を定めしむるものとしては、余りに磁力に乏しき感なき能はず。吾人は之を以て空谷の跫音として聴くことあるべし。然れども之れにより山彦を呼び起し来らんには、今ま少しく力ある声音たらしめざるべからずと想う。
当今の世界一瞥したる処に於て、斯る概括論は各所各人によりて唱へられ、砂糖の品質を黒糖より赤糖に昇すの通勢に乗するものたるは比較上之を知るに足る、材料は決して一ならざる也。四面環海の島国が、天涯茫々の裡にある水産を興すによりて利を見ることは、多くの人之を知ざるにあらざる也。然れども如何にして現在を転換し来るべきやは実地上の議論ならざるべからず。換言すれば、黒糖対赤糖論は議論としては決して異存あるにあらざるも、如何にして黒糖を赤糖に乗り換うべきかは、斯業家の念頭を支配する最大最重の問題たると同時に、水産に於ても又た然りとす。水産興すべき準備なきもの、しかも又た其の一切の条件の具備せざるものに倚りて、単純に水産の有利を説きたりとて人心を興奮せしめ来ること能はざるべしと想ふは如何。人は時により、向うの雁よりも手前の雀を捕うるの止なき場合あり、向ふの雁が好ましからざるにあらず、手前の雀の捕え易き也。虻蜂取らずとは、実地に当て鉗め興味ある俚諺ならずや他なし。雁雀併せ失ふは一雀の利あるに如かざればなり。
吾人は、黒赤糖対比を以て雁雀の如く斯かく評せんとするものにあらず。水産の興否を以て虻蜂論と比せんとするものにあらざれども、若し助言者ありて、其の何れをか選ぶべしと云うものはあらば、選ぶに至る利害損失の詳細なる具体の論を示さざるべからず。一概に試みたる抽象論のみにて人心は容易に動くものにあらざればなり。故に吾人は想う、以上の如き概括的抽象論の時代は県下に於て経過せり、輿衆は既に聴き飽けり、今日は既に政策上実地の問題を研究すべき時に達せり。世に若し黒糖赤糖論を試みんとするものあらば其の人は寧ろ、黒糖業者をして赤糖に移るに有利な具体の条件を示さざるべらず。水産興すべしと論するものは、如何にせば水産興し来るべきかを考へざるべからず。一挺優に六七円台の市価を維持せるのみならず、数百年来県民の嗣業となれる黒糖を、赤糖に乗換えるに就いては其の間多少の変遷混雑をも期せざるべからず。変遷とは事業上の変遷にして、混雑とは経済上の混雑なり。是等予期の事頃を如何に円滑に経過せしむべきかは、赤糖論者の責任として論究 示摘し来るべき筈のものならん。
現在県下の黒糖は、今や其の絶頂に達せり。若し之を改良するにあらざれば将来の見込みも覚束なしとは、吾人平素の所見なりとす。言うまでもなく、今日以上製糖力を増加せんとするに於ては、少なくとも赤糖論位は持出し来らざるべからずとは、之れ又吾人年来の持論の一なりとす。赤糖論にいささか異存あるにあらず、然れども今は既に其の概論は終結せり、今後は其の本論を聴かんとするの情に切なり。本論とは即ち、此の概念を受け来りたる有体詳細の議論なりとす。平たく言えば如何にせば移り得べきか、将た又赤糖を製出し得べきかにあり。モ少し進んで言わば、赤糖を作らしむるに便利なる道を開き与へ且つおしえ、之を導くにあり。乃ち政策上実■の施設を講ずるにあり■す。