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當局と東沙島

掲載年月日:1909/3/31(水) 明治42年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

當局と東沙島
     琉球新報 明治四十二年三月三十一日

目下對淸問題とならんとしつゝある所謂西澤島即ち東沙嶋(プラタス)嶋事件に關し倉知政務局長の語る所に據れば日本政府は從來プラタス島を無所属の嶋嶼なりと思考し居りたりと雖も未だ嘗て之を帝國領土の一部と認めたる事なし從つて淸國にして該島が其の所領に属する旨の確證を有するに於ては日本政府は其の領土權を承認するに躊躇せざる事勿論なり尤も此■場合に於ても從來プラタス島が無所属の狀態に抛棄せられたる爲善意を以て之に事業を開始したる本邦人に對しては淸國政府に於て之に保護を與ふべきは當然のことなりとす政府は淸國に對し明白に右の所見を披瀝し公平本件を處理する必要ありと信じ敷日前概に我が公使及び領事に對し夫々必要なる訓令を發したり尚同島は北緯二十度四十二分東經百十六度四十三分香港の南東百七十餘海里我が臺灣澎湖島の南西約二百海里に在り東西の延長一海里南北の幅半海里を出でざる一小嶋にして其の所属に關しては未だ信ずべき記録の徴すべきものなし千八百五十八年英艦サラセン號艦長ゼー、リチャード始めて之を測量し■で千八百六十六年及び六十七年同國海軍バルロツク、グルアー兩少在之を補測し殆ど完全なる海圖を發刊せりと云ふ島内矮樹叢生し島高樹梢を合して漸く四十呎なり全島之を以て蔽はれ其の形馬蹄鐵の如し同島附近に存在するプラタス礁脈は磨尼拉より香港に至る航海に當れる險所にして船舶を破壊せしもの尠からず英舩レイナードの如き即ち其の一例なりと

現代仮名遣い表記

当局と東沙島
     琉球新報 明治四十二年三月三十一日

目下対清問題とならんとしつゝある所謂西澤島即ち東沙島(プラタス島)事件に関し、倉知政務局長の語る所に拠れば、日本政府は従来プラタス島を無所属の島嶼なりと思考し居りたりと雖も、未だ嘗て之を帝国領土の一部と認めたる事なし。従って清国にして該島が其の所領に属する旨の確証を有するに於ては、日本政府は其の領土権を承認するに躊躇せざる事勿論なり。尤も此■場合に於ても、従来プラタス島が無所属の状態に放棄せられたる為、善意を以て之に事業を開始したる本邦人に対しては、清国政府に於て之に保護を与うべきは当然のことなりとす。政府は清国に対し明白に右の所見を披瀝し、公平本件を処理する必要ありと信じ、数日前概に我が公使及び領事に対し夫々必要なる訓令を発したり。尚同島は北緯二十度四十二分、東経百十六度四十三分、香港の南東百七十余海里我が台湾澎湖島の南西約二百海里に在り、東西の延長一海里、南北の幅半海里を出でざる一小島にして、其の所属に関しては未だ信ずべき記録の徴すべきものなし。千八百五十八年英艦サラセン号艦長ゼー、リチャード始めて之を測量し、■で千八百六十六年及び六十七年同国海軍バルロック、グルアー両少佐之を補測し、殆ど完全なる海図を発刊せりと言う。島内矮樹叢生し島高樹捎を合して漸く四十呎なり。全島之を以て蔽われ、其の形馬蹄鉄の如し。同島附近に存在するプラタス礁脈は麻尼拉より香港に至る航海に当れる検所にして船舶を破壊せしもの少からず。英船レイナードの如き即ち其の一例なりと。