キーワード検索
尖閣列島と古賀辰四郞氏(九)
原文表記
尖閣列島と古賀辰四郞氏(九)
琉球新報 明治四十一年六月二十五日 漏 渓
以上記する所により列島に於ける古賀氏經營の大體骨子が那邊にあるかを紹介し得たりと信ず、則ち仝列島に於ける仝氏の經營方針は黄尾島に對しては開墾を試み、仝時に多量なる窒素肥料を採掘すること、和平山に對しては専ら漁業を試み兼ねて山林の開拓をなすこと、南北小島に對しては海鳥の保獲及び其の剝製且つ燐酸肥料の採收をなすこと、是等は列島經營の最大骨子なるべく想像せらるゝかなれども、比の他にも尚ほ目下試驗中のものあり、則ち仝列島沿岸一帶に對して珊瑚の採收をなすこと、及び陸上天然の桑樹によりて養蠶業を營むこと、他は黄尾島中自然の地味を利用し、葉巻煙草の原料を耕作せば、マニラ産にも劣ることなき良葉を得■ならんとは一行中恒藤博士の明言する所たりし也、去れば古賀氏が同列島に對する經營の將來は誠に多望多繁なるものありと云はざるべからず、聞く所によれば右の珊瑚採收に就ては態々土佐より珊瑚網を買ひ來り試驗的に行ひつゝありとのことなれば其の結果は期年ならずして明かなるべき歟、要するに這個絶海の孤島に事業を經營せんことは、千艱萬苦の之れに伴ふものたる、豫じめ期しおかざるべからず、一敗數敗を以て意氣を沮喪せんが如き薄志弱行の徒輩か容易に企て及ぶべからざるものたるは素より言明を要せず
古賀氏が以上の如き豊富なる且つ其の將來の多望なる列島に對して經營の基礎を定めんが爲め、列島の各嶼に夫れぞれ家屋住宅を構へ、飮料水を用意し、且つ港灣を開くに多大の困難に遭遇して顧みず、徐々として其の成効の歩武を進めつゝあるは、蓋し其の用意の尋常ならぬものあるが爲めなり、斯て吾人が列島事情を紹介する劈頭に於て豫じめ是等の大體を記するは、列島事業を概觀するに就き讀者の便宜たるを信じたるが故なり、然るに右の列島事業の大體の圖取りは茲に概略を了へたり、吾人は更らに進んで其の内容の二三を説明せんとするに方りて、尚ほ記せざるべからざるものあり、則ち南北小島に於ける海鳥の群集が如何に海洋面上の一大壯觀たるべきか之れなり
抑も南北小島は古賀氏の事業たる製鳥部の本據なりとす、而して其の南北に■立せる此の兩嶼に於ける群集の海鳥が人を恐れず、且つ其の地を愛し、彼等が如何に生息上の安全なる場所として是れを捨て去るに忍びさるものあるかは、實見者の奇感とする所なるが、恒藤博士の談話によれば、全島露骨なる岩山にして樹木なく、雑草なきは彼等の最とも安全なりとする所なりと云ふ、此の奇異なる海鳥の生活は南洋諸島、南米地方皆なこの禿山岩骨の地に於て見るべしとのことなるが、是等の島嶼にして若し雑草樹木の生ずるに至れば、鳥群は他に離散するものなると、而して其の然る所以は海鳥の性質として林に隠るゝものにはあらざる也、洪濶なる海天に鋭利なる羽翅を延ばし、以て其天■を終はるものなるが故に、彼等は飛揚に障はるものあるを好まざるによると也、去れば今茲に吾人が見渡す限り、海天遙かに魚道の上に帶をなし、飛舞翺翔せる數萬若くは數十萬の鳥群は素より彼等の常習に從へるものなり、波濤に揺られ、風に戯るゝ彼等海鳥の生活は實に其の天然を樂しむが爲なり、或は靜かに或は急に、一上一下纈頑自在なる羽翼の姿は彼等が互に其の美を誇りとする所なるべし尖閣列島旅行者にして、變化自在萬態千容の限りを尽くしつゝある是等海鳥の大群集を見たらんものは感興勃然として禁じ得ざるものなくんばあらざるべし
斯くて其下には漫々たる海洋を處とし上に洪々たる蒼穹を家となし、飛去飛來する是等大群の海鳥は元來が渡り鳥に属して氣候によりて往來をなす、冬期に於て來るものあり、夏期に至りて來るものあり、氣候の往來と共に時を違へず去來する列島の海鳥には信天翁あり、梭鳥あり、籠鳥あり、鰹鳥あり、或はアジサシ、或は南洋鳥等なるが、其他にも常往島を離れざる諸島の和平山、黄尾島にあるもあり、然ども今ま是■は吾人の語らんと欲する所にあらざるが故に之を略するとして、古賀氏が事業の目的となりつゝあるは、信天翁、梭鳥、籠鳥、鰹鳥、アジサシ、南洋鳥の數種なりとす、信天翁は今まあらざりき、吾人の旅行中に目撃したる數種の海鳥ハ、前記梭鳥以下のものなりき、斯くて其の是等無數の諸鳥が上記の如く海天の間に魚道を逐ふて翺翔自在の妙技に飽いては即ち來りて南北小島の禿岩に止まる、或は其の産卵期に至りて、此處に其の雌は伏するものたるが故に、吾人は今茲に南北小島の景况を記すに方りて、單に此の双對の兩嶼に無數の島群あるとのみにては、未だ其の實况の全部を言ひ尽し得ざるものありと信じたるが故に吾人は其の列島に於ける鳥群の莫大なるを紹介せんが爲めには、勢ひ以上海天飛舞の壯觀を併はせて之を讀者に告げさること能はざりし也、蓋し古賀氏が製鳥部の目的は、單に南北小島に群來せるものゝみにあらずして他に尚ほ上記の如く海と天とを家とせる一大鳥群を共に經營中の豫算に入れあるべければ也、而して是等は海鳥の性質として、必ずしも居るに陸を要せず、夜となく晝となく、波濤と蒼穹とを其の住居となすことを得る、食ふにも又は眠るにも波濤の褥に於てすることを得るものなるが故に、彼等が南北小島の禿山上に來るものは眠らんが爲めにもあらず、將た其の食せんが爲めにもあらざる也、目下産卵中にある雌鳥の安否を見舞はんが爲め、且つ又た其の霄時をホームの樂しみ■銷せんが爲め彼等の來往を見る、別言すれば即ち南北小島に居るものは産卵期中の鳥の雌伏するもの、若し然らざれば、僅少の雄鳥、雌鳥の此處に在るものにして、此の部類以外の各鳥は皆な其の海天髣髴の間を彼等の家とせるものなり、而して其の古賀氏の製鳥部は専ら是等雌伏の鳥類を保護して、強健なる雄鳥の飛去飛來せるのを捕獲するにありとす、故に仝島に於ける鳥の原料は殆んど無尽蔵とも謂ふことを得ん
現代仮名遣い表記
尖閣列島と古賀辰四郞氏(九)
琉球新報 明治四十一年六月二十五日 漏 渓
以上記する所により、列島に於ける古賀氏経営の大体骨子が那辺にあるかを紹介し得たりと信ず。則ち同列島に於ける同氏の経営方針は、黄尾島に対しては開墾を試み、同時に多量なる窒素肥料を採掘すること。和平山に対しては専ら漁業を試み、兼ねて山林の開拓をなすこと。南北小島に対しては海鳥の保獲及び其の剝製且つ燐酸肥料の採収をなすこと。是等は列島経営の最大骨子なるべく想像せらるゝかなれども、比の他にも尚お目下試験中のものあり。則ち同列島沿岸一帯に対して珊瑚の採収をなすこと、及び陸上天然の桑樹によりて養蚕業を営むこと。他は黄尾島中自然の地味を利用し、葉巻煙草の原料を耕作せば、マニラ産にも劣ることなき良葉を得■ならんとは、一行中恒藤博士の明言する所たりし也。去れば古賀氏が同列島に対する経営の将来は誠に多望多繁なるものありと言わざるべからず。聞く所によれば、右の珊瑚採収に就ては態々土佐より珊瑚網を買い来り、試験的に行いつゝありとのことなれば、其の結果は期年ならずして明かなるべき与。要するに此個絶海の孤島に事業を経営せんことは、千艱万苦の之れに伴うものたる、予じめ期しおかざるべからず。一敗数敗を以て意気を阻喪せんが如き薄志弱行の徒輩が容易に企て及ぶべからざるものたるは元より言明を要せず。
古賀氏が以上の如き豊富なる、且つ其の将来の多望なる列島に対して経営の基礎を定めんが為め、列島の各嶼に夫れぞれ家屋住宅を構え、飲料水を用意し、且つ港湾を開くに多大の困難に遭遇して顧みず、徐々として其の成効の歩武を進めつゝあるは、蓋し其の用意の尋常ならぬものあるが為めなり。斯て吾人が列島事情を紹介する劈頭に於て、予じめ是等の大体を記するは、列島事業を概観するに就き読者の便宜たるを信じたるが故なり。然るに右の列島事業の大体の図取りは茲に概容を了えたり。吾人は更らに進んで其の内容の二、三を説明せんとするに方りて、尚お記せざるべからざるものあり。則ち南北小島に於ける海鳥の群集が如何に海洋面上の一大壮観たるべきか之れなり。
抑も南北小島は古賀氏の事業たる製鳥部の本拠なりとす。而して其の南北に■立せる此の両嶼に於ける群集の海鳥が人を恐れず、且つ其の地を愛し、彼等が如何に生息上の安全なる場所として是れを捨て去るに忍びざるものあるかは、実見者の奇感とする所なるが、恒藤博士の談話によれば、全島露骨なる岩山にして樹木なく、雑草なきは彼等の最とも安全なりとする所なりと言う。此の奇異なる海鳥の生活は南洋諸島、南米地方皆なこの禿山岩骨の地に於て見るべしとのことなるが、是等の島嶼にして若し雑草樹木の生ずるに至れば、鳥群は他に離散するものなると。而して其の然る所以は海鳥の性質として林に隠るゝものにはあらざる也。洪濶なる海天に鋭利なる羽翅を延ばし、以て其天■を終わるものなるが故に、彼等は飛揚に障わるものあるを好まざるによると也。去れば今茲に吾人が見渡す限り海天遙かに魚道の上に帯をなし、飛舞翺翔せる数万若くは数十万の鳥群は元より彼等の常習に従えるものなり。波濤に揺られ、風に戯るゝ彼等海鳥の生活は実に其の天然を楽しむが為なり。或は静かに或は急に、一上一下纈頑自在なる羽翼の姿は、彼等が互に其の美を誇りとする所なるべし。尖閣列島旅行者にして、変化自在万態千容の限りを尽くしつゝある是等海鳥の大群集を見たらんものは、感興勃然として禁じ得ざるものなくんばあらざるべし。
斯くて其下には漫々たる海洋を処とし上に洪々たる蒼穹を家となし、飛去飛来する是等大群の海鳥は元来が渡り鳥に属して、気候によりて往来をなす。冬期に於て来るものあり、夏期に至りて来るものあり。気候の往来と共に時を違えず去来する列島の海鳥には信天翁あり、梭鳥あり、籠鳥あり、鰹鳥あり、或はアジサシ、或は南洋鳥等なるが、其他にも常住島を離れざる諸島の和平山、黄尾島にあるもあり。然ども今ま是■は吾人の語らんと欲する所にあらざるが故に之を略するとして、古賀氏が事業の目的となりつゝあるは、信天翁、梭鳥、籠鳥、鰹鳥、アジサシ、南洋鳥の数種なりとす。信天翁は今まあらざりき。吾人の旅行中に目撃したる数種の海鳥は、前記梭鳥以下のものなりき。斯くて其の是等無数の諸鳥が上記の如く海天の間に魚道を逐うて翺翔自在の妙技に飽いては即ち来りて南北小島の禿岩に止まる。或は其の産卵期に至りて、此処に其の雌は伏するものたるが故に、吾人は今茲に南北小島の景況を記すに方りて、単に此の双対の両嶼に無数の鳥群あるとのみにては、未だ其の実況の全部を言い尽し得ざるものありと信じたるが故に、吾人は其の列島に於ける鳥群の莫大なるを紹介せんが為めには、勢い以上海天飛舞の壮観を併はせて之を読者に告げざること能わざりし也。蓋し古賀氏が製鳥部の目的は、単に南北小島に群来せるものゝみにあらずして、他に尚お上記の如く海と天とを家とせる一大鳥群を共に経営中の予算に入れあるべければ也。而して是等は海鳥の性質として、必ずしも居るに陸を要せず、夜となく昼となく、波濤と蒼穹とを其の住居となすことを得る。食うにも又は眠るにも波濤の褥に於てすることを得るものなるが故に、彼等が南北小島の禿山上に来るものは眠らんが為めにもあらず、将た其の食せんが為めにもあらざる也。目下産卵中にある雌鳥の安否を見舞わんが為め、且つ又た其の霄時をホームの楽しみ■消せんが為め彼等の来往を見る。別言すれば即ち南北小島に居るものは産卵期中の鳥の雌伏するもの、若し然らざれば、僅少の雄鳥、雌鳥の此処に在るものにして、此の部類以外の各鳥は皆な其の海天髣髴の間を彼等の家とせるものなり。而して其の古賀氏の製鳥部は専ら是等雌伏の鳥類を保護して、強健なる雄鳥の飛去飛来せるのを捕獲するにありとす。故に同島に於ける鳥の原料は殆んど無尽蔵とも言うことを得ん。