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◎本年縣下の漁業狀况(三)
原文表記
◎本年縣下の漁業狀况(三)
水產品評會開設の記事を賛す
玉城五郞
◎鮪釣漁業 此漁業は未だ確定した漁業になつたとは斷言は出來ないけれども大に研究すべきもので予輩は大に趣味を感して居る其譯は斯うである全体鮪なるものは從來當地にて專業則ち之を釣る目的にて釣を埀れたことはなく鯣釣の側ら偶々鯣を海中より浮出す目的にて釣針に鯣を付け水中に投する際間違て此の鮪の釣られたのでありて其數も極々僅少であつた所が今日では態々鮪を釣る目的にて釣と海中に入れて多くの鮪又はカチキ(秋太郞又は秋の魚と稱す)を始末の付かぬ程釣るようになつたさ■如何にして此の新漁業が發明されしや其期因並に發明者も不詳であ■■予輩は多年理想として唱出したことがある其の譯は亦た斯うてある一体鮪は鰹と同く魚類中最も敏活のものでありて生餌にあらされば滅多■釣れないのは魚類學上より知らるゝのである其れ故に秋季鮪の沖合に郡游するに際し生餌を用いて之を釣ては如何と曾て當業者に向て云ふたことがある現に愚兄の如きは一昨々年刳舟に生洲(船にて魚を活す所をイケ
ス又は活間と稱す)を作りて之を試んとして生洲は作たことは作たか舟は小なる上に其計画も單獨であつたからして遂々之を試みることが出來ずして止んだのであるけれども其か出來ぬ代りに之に適する釣針を内地より取寄せて之を販賣したのである此等のことが一の動機となつたか或は當業者か全て發明したことか昨今ては當業者は鮪釣の際其の釣りし生鯣を釣針に生掛してどんどん鮪を釣上て一艘て多きは百尾以上も釣たと云ふことである併しながら當業者は未だ自身で其釣方を發明したとは思はぬようてある何故なれば予輩が當業者に向て昨今鮪の豊漁を賞賛するとさうです昨今は實に鮪の寄年である年々斯ふあれば結構たがと言て居たから予輩は否な否な决して鮪の寄年でない之は君等が釣方を發明した結果て此後も尙ほ目多く釣らるゝに違いないと云ふと彼等の多くは成程そうかも知らんと言て居た此の結果より推して行けは目下縣下に殖へつゝある鰹船を利用して鰹業の止む頃より同船には生間も備てあるから之に魚類を生かして鮪を釣たなら或は好結果を得るかも知らん■思ふ依て予は先日本部へ行た時に之を勸めた所が向ふでは此鮪と類似の魚なる方名トカキンに多少經驗があることにて早速遺て見ると云ふて居た强き忍耐を以て試て貰いたいのである併し玆に甚だ
殘念なのは前に云ふた鯣の根據地たる沖原及久米鳩間島ては實に始未の付かん程鮪が釣られて辛ふして糸滿婦人の手に依り鮪節を製■ているが其の製法が乱■で粗末なるが爲めに金に積ては眞に半額に過きないのである是非當業者は釣方を知ると同時に節の製法をも知らなければならぬのであるが之を分業として第一節の製造法を知る人は時期に當り右等の地に行き製造して貰いたいのであるが特に望むらは昨年久米島に於て節製造に模範となりしが如く水產學校の生徒が率先して此等の地に行き尙ほ尙ほ模範を示して貰いたいのである然るときには當業者も共に利益を收るであろう現に久米島にては或内地人を糸滿人が雇い鮪節と製して居るが其の價格が鰹節同樣で多の利を得たと云ふことである斯に如く濫造の鮪節とは云へ本年の產額が壹万圓にも上りしと思ふ之は本縣のみにて需用されたのである
現代仮名遣い表記
◎本年県下の漁業状況(三)
水産品評会開設の記事を讃す
玉城五郎
◎鮪釣漁業 この漁業は未だ確定した漁業になったとは断言は出来ないけれども、大に研究すべきもので私は大に趣味を感じている。その訳はこうである。全体鮪なるものは従来当地にて専業、則ちこれを釣る目的にて釣を垂れたことはなく、スルメ釣の側ら、たまたまスルメを海中より浮出す目的にて、釣針にスルメを付け水中に投する際、間違てこの鮪の釣られたのでありて、その数も極々僅少であつた。
ところが今日では、わざわざ鮪を釣る目的にて釣と海中に入れて多くの鮪、又はカチキ(秋太郎又は秋の魚と称す)を始末の付かぬ程釣るようになったさ■如何にしてこの新漁業が発明されしや、その期因並に発明者も不詳であ■■。私は多年理想として唱出したことがある。その訳はまたこうである。一体鮪は鰹と同く魚類中最も敏活のものでありて、生餌にあらされば滅多■釣れないのは、魚類学上より知らるるのである。これ故に秋季鮪の沖合に郡游するに際し生餌を用いて、これを釣ては如何と曽て当業者に向て云うたことがある。現に愚兄の如きは、一昨々年刳舟に生洲(船にて魚を活す所をイケス又は活間と称す)を作りて、これを試んとして生洲は作ったことは作ったが、舟は小なる上にその計画も単独であったからして、とうとうこれを試みることが出来ずして止んだのであるけれども、それが出来ぬ代りに、これに適する釣針を内地より取寄せて、これを販売したのである。これらのことが一の動機となったか、あるいは当業者が全て発明したことか、昨今では当業者は鮪釣の際、その釣りし生スルメを釣針に生掛して、どんどん鮪を釣上て一艘で多きは百尾以上も釣たと云うことである。併しながら当業者は未だ自身で、その釣方を発明したとは思はぬようである。何故なれば私が当業者に向て、昨今鮪の豊漁を賞賛するとさうです、昨今は実に鮪の寄年である年々こうあれば結構だが。と言ていたから、私はイヤイヤ、決して鮪の寄年でない。これは君等が釣方を発明した結果で、この後も尚お、目多く釣らるるに違いない。と云うと彼等の多くは、成程そうかも知れんと言ていた。この結果より推して行けば、目下県下に殖へつつある鰹船を利用して、鰹業の止む頃より同船には生間も備てあるから、これに魚類を生かして鮪を釣たなら、あるいは好結果を得るかも知らん■思ふ。依て予は先日本部へ行た時にこれを勧めた。ところが向うでは、この鮪と類似の魚なる方名トカキンに、多少経験があることにて、早速やって見ると云うていた強き忍耐を以て、試て貰いたいのである。併しここに甚だ残念なのは、前に云うたスルメの根拠地たる沖原及久米鳩間島では、実に始未の付かん程鮪が釣られて、辛ふして糸満婦人の手に依り、鮪節を製■ているが、その製法が乱■で粗末なるが為めに、金に積ては真に半額に過ぎないのである。ぜひ当業者は釣方を知ると同時に、節の製法をも知らなければならぬのであるが、これを分業として第一節の製造法を知る人は、時期に当り右等の地に行き製造して貰いたいのであるが、特に望むらは昨年久米島に於て、節製造に模範となりしが如く、水産学校の生徒が率先してこれらの地に行き、もっと模範を示して貰いたいのである。然るときには当業者も共に利益を収るであろう。現に久米島にては、ある内地人を糸満人が雇い、鮪節と製しているが、その価格が鰹節同様で多の利を得たと云うことである。これに如く濫造の鮪節とは云へ、本年の産額が一万円にも上りしと思う。これは本県のみにて需用されたのである。