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鰹節の製造高如何

掲載年月日:1907/11/10(日) 明治40年
メディア:琉球新報社 2面 種別:記事

原文表記

鰹節の製造高如何
     琉球新報 明治四十年十一月十日

本縣の鰹漁は去る三十六年に始まりたるものなるが最近一両年に入りては頗る發達を遂げ現今に至つては當地の需用を充して更に縣外に向つて多額の輸出を試むる有様にて將來益々發達すべき見込充分なり扨て縣下に於ける鰹漁船の數は凡そ五十艘内外なる可く其全縣下の製造總高に就ては未だ精確なる調査を遂げされども漁船一艘の平均捕獲高を最低額に見積るも二千圓に下らざるべきを以て若し之を標準として漁船の總數五十艘の収獲總高を推算せば本年の漁撈期節中に於ける鰹節の製造高凡そ十萬圓に上りたる勘定となる之は單に漁船の數より算定したる概數に止まれど一部商人側の話に依れば本年俵商店のみても二万餘圓の鰹節を輸出したりと云ひ其外古賀鮫島等の商店にて取扱ひたるものも尠からぬ上に近頃出稼の内地人が當地商人の手を經すして直接に製造輸出したるものも随分あるやうなれば之等を精密に調査する時は或は十萬圓を超ゆるを少々ならざる可く最早や優に鯣の産出高を壓するの狀態にあり云々某氏は語れり

現代仮名遣い表記

鰹節の製造高如何
     琉球新報 明治四十年十一月十日

本県の鰹漁は去る二十六年に始まりたるものなるが、最近一両年に入りては頗る発達を遂げ、現今に至っては当地の需用を充して更に県外に向って多額の輸出を試むる有様にて、将来益々発達すべき見込充分なり。扨て県下に於ける鰹漁船の数は凡そ五十艘内外なる可く、其全県下の製造総高に就ては未だ精確なる調査を遂げされども、漁船一艘の平均捕獲高を最低額に見積るも二千円に下らざるべきを以て、若し之を標準として漁船の総数五十艘の収獲総高を推算せば、本年の漁労期節中に於ける鰹節の製造高凡そ十万円に上りたる勘定となる。之は単に漁船の数より算定したる概数に止まれど、一部商人側の話に依れば本年俵商店のみでも二万余円の鰹節を輸出したりと言い、其外古賀、鮫島等の商店にて取扱いたるものも少からぬ上に、近頃出稼の内地人が当地商人の手を経ずして直接に製造輸出したるものも随分あるようなれば、之等を精密に調査する時は或は十万円を超ゆるを少々ならざる可く、最早や優に鯣の産出高を厚するの状態にあり云々某氏は語れり。