キーワード検索

◎思はぬ旅行(承前)

掲載年月日:1907/3/7(木) 明治40年
メディア:琉球新報社 3面 種別:記事

原文表記

◎思はぬ旅行(承前)
(二月六日の續き)  多良間の 仲松生
これよりは他の方面に移らむ
己に上陸せしより數十日になりぬ大概見るべき處は見開くべきものは聞きぬ今よりは又深くを記さず
朝夕に待ちしみふねのいつまてもくぬそわひしき旅の空かな
いつまでまてど舩來■下地(昌道)君ハ吾か心察せられしにや「今日ハよき天氣なれはいか引いかし」とさそはるあまり嬉しければ直ちに釣り具の事をいひ出せしは自分ながらも可笑しかりき共ににクリ艘傭ふて港内をあ■たこなたとひきまわる
面白や今日はいか引はしめなり
なれぬわさまてなさむと思へは
筋骨稍々衰へたる舟子は煙草吸ひたくやありけん數刻にもならさるに火の注文をなす共に火の用意なしと答ふ彼は大に■惑せし樣子なりあまり可哀想なれば名殘を殘してかへる但し獲物もあらざりき
たもうことかなはてかへるもわれわれのこころ知れ■やわはれ舟子よ
十一月廿四やうやうにして南都丸は來れりこれまて數日間を費せしは風波にさまたけられ又與那國まで新兵搭載のためゆきし爲めなりといふ今日よりは重荷を卸せし樣なりと打ちさしめくもげに理りならんかし
今晩出帆との事ゆえ晝すきにくり舟を傭ふて(■馬舩ゆかずとの事故)乘舩す舩長曰く「今日迄は波あらければ明日に見合わせたり」といふさらばとて其■引き戻してかへるこれ多良間島に寄港の見込なき故なり
廿五の晝過ぎ■も傅馬をかりてゆくやうやうにして本舩近くはゆきたれど風强く其まま吹き流されたうたう本舩取り外し遠くあなたにゆきぬ皆周章ふためき呼べども叫べども對ふるもの一人もなし舟子■は口嘯をふき急を告ぐれど一人とて此の樣を知るものなき樣子なり(後にて聞けば船員等あ露も知らさりしとなん)
このさまを神や佛も知すがに
救■の船の影だにもなし
今はせんすべなしとてニ三度は舳を向けたれど少しも其の効なく風のまにまに吹き流さる最早此の上は賴む方なければ竹富島さしてぞゆく數十分にして無事安着す
あなうれし神のみたすけたまはりて
この島まてはつきにけるかな
若し此島なかりせばいかかなりけむなといひつつ直に上陸して駐在所にゆく北川巡査宮良村頭のいとも丁寧なる尽力によりくり舟一艘傭ふて又も南都丸へとこぎゆく風は强く波は高しされど舟は出帆旗まで掲げたり若し此の船に乘り■れなばわが島にかへる事見込なければとて危險を冒してゆく
わがこころ神佛まで知りぬべし
海神いかに心なくとも
ことなくとりつく事を得たる■佛神の御助なるべし松にうつれば今日も出帆せずといふあまり立腹したれどやうやう虫を押へて四ケにかへる
明日明日との廣告は日々にかかげらるれど出さずかれこれする間に八重山新兵も此の船よりゆく事になりぬよく考えればこれまで延期せしはかかる事なるによりしならむここに於て會社の眞意を察するに足るべし
廿八日はいよいよ出帆する事になり十有余の出兵と共に傅馬にうち乘り數多の人々に見送られつつ万歳聲裡にいでゆく
父母とわかるることはつらくとも大君のために衋せ武士
わが舩と共に男女うち交りて太皷を打ち三味線を弾き歌聲高くいと興ありげにゆく舟あり人々にとへばこれ新兵を見送るなりといふ
集散離合世のつねなれど
今日のいてたちたもひこそやれ
この夜の十時に船は拔錨す數十日滞在せし島なればとていと名殘惜しめくる曉には早や多良間島近く來りぬ未だつかさる前より汽笛をふき旗をあげて相■すされど一艘の艀船だに來ず直ちに本舩よ■卸して下地(昌這)氏と共に上陸す
朝夕に待ちに待ちなるわが島に
すてにつきけり今日のうれしさ
かねて其心ありしを見え新兵は濱にて待てり數ある人々が久々の挨拶も聞き得ず新兵の船送をなし万歳を三唱して學校にかへる
人こころかはりしことはなけれとも
風にもまれし草木かれけり(完)

現代仮名遣い表記

◎思はぬ旅行(承前)
(二月六日の続き)  多良間の 仲松生
これよりは他の方面に移らむ
己に上陸せしより数十日になりぬ大概見るべき処は、見開くべきものは聞きぬ今よりは又深くを記さず
朝夕に待ちしみふねのいつまてもくぬそわひしき旅の空かな
いつまでまてど舩来■下地(昌道)君ハ吾か心察せられしにや「今日はよき天気なれはいか引いかし」とさそはるあまり嬉しければ直ちに釣り具の事をいひ出せしは自分ながらも可笑しかりき共ににクリ艘傭ふて港内をあ■たこなたとひきまわる
面白や今日はいか引はしめなり
なれぬわさまてなさむと思へは
筋骨稍々衰へたる舟子は煙草吸ひたくやありけん数刻にもならさるに火の注文をなす共に火の用意なしと答ふ彼は大に■惑せし様子なりあまり可哀想なれば名残を残してかへる但し獲物もあらざりき
たもうことかなはてかへるもわれわれのこころ知れ■やわはれ舟子よ
十一月二十四やうやうにして南都丸は来れりこれまて数日間を費せしは風波にさまたけられ又与那国まで新兵搭載のためゆきし為めなりといふ今日よりは重荷を卸せし様なりと打ちさしめくもげに理りならんかし
今晩出帆との事ゆえ昼すきにくり舟を傭ふて(■馬舩ゆかずとの事故)乗舩す舩長曰く「今日迄は波あらければ明日に見合わせたり」といふさらばとて其■引き戻してかへるこれ多良間島に寄港の見込なき故なり
廿五の昼過ぎ■も傅馬をかりてゆくやうやうにして本舩近くはゆきたれど風強く其まま吹き流されたうたう本舩取り外し遠くあなたにゆきぬ皆周章ふためき呼べども叫べども對ふるもの一人もなし舟子■は口嘯をふき急を告ぐれど一人とて此の様を知るものなき様子なり(後にて聞けば船員等あ露も知らさりしとなん)
このさまを神や仏も知すがに
救■の船の影だにもなし
今はせんすべなしとてニ三度は舳を向けたれど少しも其の効なく風のまにまに吹き流さる最早此の上は頼む方なければ竹富島さしてぞゆく数十分にして無事安着す
あなうれし神のみたすけたまはりて
この島まてはつきにけるかな
若し此島なかりせばいかかなりけむなといひつつ直に上陸して駐在所にゆく北川巡査宮良村頭のいとも丁寧なる尽力によりくり舟一艘傭ふて又も南都丸へとこぎゆく風は強く波は高しされど舟は出帆旗まで掲げたり若し此の船に乘り■れなばわが島にかへる事見込なければとて危険を冒してゆく
わがこころ神仏まで知りぬべし
海神いかに心なくとも
ことなくとりつく事を得たる■仏神の御助なるべし松にうつれば今日も出帆せずといふあまり立腹したれどやうやう虫を押へて四ケにかへる
明日明日との広告は日々にかかげらるれど出さずかれこれする間に八重山新兵も此の船よりゆく事になりぬよく考えればこれまで延期せしはかかる事なるによりしならむここに於て会社の真意を察するに足るべし
二十八日はいよいよ出帆する事になり十有余の出兵と共に傅馬にうち乗り数多の人々に見送られつつ万歳声裡にいでゆく
父母とわかるることはつらくとも大君のために衋せ武士
わが舩と共に男女うち交りて太皷を打ち三味線を弾き歌声高くいと興ありげにゆく舟あり人々にとへばこれ新兵を見送るなりといふ
集散離合世のつねなれど
今日のいてたちたもひこそやれ
この夜の十時に船は抜錨す数十日滞在せし島なればとていと名残惜しめくる曉には早や多良間島近く來りぬ未だつかさる前より汽笛をふき旗をあげて相■すされど一艘の艀船だに来ず直ちに本舩よ■卸して下地(昌這)氏と共に上陸す
朝夕に待ちに待ちなるわが島に
すてにつきけり今日のうれしさ
かねて其心ありしを見え新兵は浜にて待てり数ある人々が、久々の挨拶も聞き得ず新兵の船送をなし万歳を三唱して学校にかへる
人こころかはりしことはなけれとも
風にもまれし草木かれけり(完)