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◎先島めぐり(六)
原文表記
◎先島めぐり(六)
梅山生
八重山島は猪多し夜にまぎれて山を下り田畑を踏み荒らして作物を害することが甚しいので四ヶ近傍九ヶ村の住民が時々聯合して猪狩をやることがある此時折よく其催しがあつて七日の早朝宮良間切牧塲の付近で行われるとの事であるが侍従閣下に於ては當日巡察の道筋でもあるから序に狩塲に立ち寄つて猪狩を觀らるヽこととなり朝まだ早き四時過ぎと云ふに旅館を出られた齋藤、横内、田尻の三氏は例に依て馬を打たせ其他は駕籠を聯て行きぬ
變調なる駕籠舁の掛聲勇ましく前後相呼應しながら四ヶ村を離れ道の兩脇から提灯を燈して雨に濕れる泥濘路を行くのであるが其早きこと飛ぶがやうで時々抛り出されては大手を地に撞くことが屡々である乘れる人は險呑で堪らぬけれども舁いで居る人は一向平氣なもので得意げな掛聲に林鴉の夢を驚かして居る暫くして川を渡つて行けば茫々たる草原で下弦の月は朧に中空に懸つて春靄薄く朧圃を立ち罩めて居る於茂登馬鞍の高巒は曉霧に包まれ折々高嶺おろしの朝風が駕輿を掠めては吹き去り白露袂に迫りて聊か冷氣を感ずる
駕輿ながら野の道過る朝明けを
於茂登おろしの風寒うして
拙手の横好きくだらぬ歌などを口吟さみなどし彼是六時過ぎになりて設けの假小屋に到着された
小屋は牧塲の高原に幔幕を張つて夜露を防ぎ島廳の吏員や土地の人々は既に萬端の用意を整へて侍從の一行を待つて居る席に就かれて茶など喫せられて居る間に曉霧は次第に薄らぎ夜はほのぼのと明け渡りぬ此邊全て宮良の牧塲であるが於茂登連山の麓から此小屋の後方にかけて嚝漠たる草原で牧塲から田畑に續いて凡そ三四里四方もあるべき平野である牧塲の周圍は四尺ばかりの石垣を築き廻はし田畑も亦た猪の夜襲を防ぐ爲めに同じく溝渠を穿ち塁壁を築いて居るから宛然小萬里の長城で此低い石垣が蜿々として幾里となく連つて居る畜類は大抵一二歳の頃まで敗塲に牧飼されて居るのであるが馬は馬連れ牛は牛連れで十數群をなしては塲内を徘徊し春■朝風に勢よく嘶き走る光景なども初めて見る目には頗る珍しく感ぜられる
更に眼を轉ずれば遥か前方なる山の裾野あたり旗幟を樹て聯ね騎馬に跨つて居る連中が其處此處に群かり合ひ右手の端から左の端まで數里に亘る廣い野原を遠巻きに圍んで居るその陣立の模樣が如何にも面白いので望遠鏡を採つて能く見ると皆弓手に手綱を扣へて馬手に槍を横たへて居るさま威勢勃々として邊城胡兵の迫るを見るがやうだ野猪は夜間山を下つて作物を荒しに來るので晩方から此の石垣の門を悉く開けて猪を総て垣内に誘ひ出し曉に門を閉ぢて其歸路を塞ぎ明くるを待つて狩り立てるのである八重山では猪狩を爲すに獵犬を使はず銃砲を用いずして馬に跨つて追ひ廻はし槍を以て突き留めるのだそうな狩の總勢は二千人近く見受けられ仕掛けは甚だ大業で而かも舊式なる所は少くとも現世紀の見物ではないと一同相顧みて笑って居る
狩は始まり■然たる鉦太鼓の音が聞え出した暫くして猪は飛び出しぬサテ來たと騎馬の連中は躍起になつて追ひ立てたけれども唯數百の騎馬が右往左往に駈け廻るばかりで猪は一向に突き留めることが出來ぬ遂には風を切つて逃げ出す猪の行方が分らなくなると云ふ有樣で四五疋も追ひ廻したけれどもトウトウ一匹も獲ることが出來ぬ何だか泰山鳴動して鼠一疋の感がするけれども狩塲の壮觀と陣立の大仕掛けな所は甚だ贅澤な見物で鎌倉時代の富士の裾野あたりが思ひ出される斯くて一ヶ村毎に旗頭を持つて鉦太鼓を叩きながら轡を並べて一行の居らるヽ小屋の前を行列して狩塲を引き上げ一行は駕輿を聯ねて白保村に向ふ此時八時半であつた
現代仮名遣い表記
◎先島めぐり(六)
梅山生
八重山島は猪多し、夜にまぎれて山を下り田畑を踏み荒らして作物を害することが甚しいので、四ヶ近傍九ヶ村の住民が時々連合して猪狩をやることがある。此時折よく其催しがあって、七日の早朝宮良間切牧場の付近で行われるとの事であるが、侍従閣下に於ては当日巡察の道筋でもあるから、ついでに狩場に立ち寄って猪狩を観らるることとなり。朝まだ早き四時過ぎと云うに、旅館を出られた斎藤、横内、田尻の三氏は例に依て馬を打たせ、その他は駕籠を連ねて行きぬ。
変調なる駕篭舁(かごかき)の掛声勇ましく前後相呼応しながら、四ヶ村を離れ道の両脇から提灯を灯して、雨に湿れる泥濘路を行くのであるが、その早きこと飛ぶがようで時々放り出されては大手を地につくことがしばしばである。乗れる人は険呑で堪らぬけれども、かついで居る人は一向平気なもので、得意げな掛声に林鴉の夢を驚かして居る。暫くして川を渡って行けば、茫々たる草原で下弦の月は朧に中空に懸って春靄薄く朧圃を立ちこめて居る。於茂登馬鞍の高巒は暁霧に包まれ、折々高嶺おろしの朝風が駕篭を掠めては吹き去り、白露袂に迫りていささか冷気を感じる
駕篭ながら野の道過る朝明けを
於茂登おろしの風寒うして
へたの横好きくだらぬ歌などを口吟さみなどし、彼是六時過ぎになりて設けの仮小屋に到着された。
小屋は牧場の高原に幔幕を張って夜露を防ぎ、島庁の吏員や土地の人々は既に万端の用意を整えて侍従の一行を待って居る。席に就かれて茶など喫せられて居る間に、暁霧は次第に薄らぎ夜はほのぼのと明け渡りぬ。此辺全て宮良の牧場であるが、於茂登連山の麓から此小屋の後方にかけて広漠たる草原で、牧場から田畑に続いて凡そ三四里四方もあるべき平野である。牧場の周囲は四尺ばかりの石垣を築き廻はし、田畑もまた猪の夜襲を防ぐ為めに同じく溝渠を穿ち塁壁を築いて居るから、宛然小万里の長城で、此低い石垣が蜿々として幾里となく連って居る。畜類は大抵一二歳の頃まで敗場に牧飼されて居るのであるが、馬は馬連れ牛は牛連れで、十数群をなしては場内を徘徊し、春■朝風に勢よく嘶き走る光景なども初めて見る目には頗る珍しく感ぜられる。
更に眼を転じれば、遥か前方なる山の裾野あたり旗幟を樹て連ね、騎馬に跨って居る連中が其処此処に群がり合い、右手の端から左の端まで数里に亘る広い野原を遠巻きに囲んで居る。その陣立の模様が如何にも面白いので望遠鏡を採ってよく見ると、皆、弓手に手綱をひかえて馬手に槍を横たへて居るさま威勢勃々として辺城胡兵の迫るを見るがようだ。野猪は夜間山を下って作物を荒しに来るので、晩方から此の石垣の門をことごとく開けて猪を総て垣内に誘ひ出し、暁に門を閉じて其帰路を塞ぎ明けるのを待って狩り立てるのである。八重山では猪狩を為すに、猟犬を使わず銃砲を用いずして馬に跨って追ひ廻わし、槍を以って突き留めるのだそうな。狩の総勢は二千人近く見受けられ、仕掛けは甚だ大業でしかも旧式なる所は、少くとも現世紀の見物ではないと一同相顧みて笑って居る。
狩は始まり、そう然たる鉦、太鼓の音が聞え出した。暫くして猪は飛び出しぬ、サテ来たと騎馬の連中は躍起になって追い立てたけれども唯数百の騎馬が右往左往に駈け廻るばかりで、猪は一向に突き留めることが出来ぬ。遂には風を切って逃げ出す猪の行方が分らなくなると云う有様で、四五匹も追い廻したけれどもトウトウ一匹も獲ることが出来ぬ。何だか、泰山鳴動して鼠一疋、の感がするけれども狩場の壮観と陣立の大仕掛けな所は、甚だ贅沢な見物で鎌倉時代の富士の裾野あたりが思い出される。斯くて一ヶ村毎に旗頭を持って鉦、太鼓を叩きながら轡を並べて一行の居らるる小屋の前を、行列して狩場を引き上げ一行は駕篭を連ねて白保村に向う、此時八時半であった。