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◎先島めぐり(五)
原文表記
◎先島めぐり(五)
梅山生
漲水港を出て石垣島に向ふ航海八九時相巨ること纔かに九十一海里であるけれども此の両地方は第一土地の状態からして違ふ宮古島の低平にして山なきに比し八重山島は海抜一千五六百尺の高嶺が重疊して居る彼が全島不毛の禿山で山林の目に入る者なきに反して是は鬱蒼たる深林を海上から望むことが出來る氣候も違へば地質も違ふであろふ若し詳細の所に立ち入つて充分なる視察を遂げたならば島民の言語風俗にも亦甚しき相違のあると發見するに違ひない
八重山郡は石垣西表の二島以下大小十八の島嶼から成り面積は曠漠として居けれども戸數は四千五十餘戸で人口は一万九千八十餘人に過ぎぬ全郡三ヶ間切二十九ヶ村に分けられ一村の人口少きは三十名に足らぬ石垣間切崎枝村の如きになると全村二十六人で而かも戸數十一戸もある一戸の平均實に二人三分にしか當らぬ蓋し八重山島はマラリア病の發生地で全然無病の地と云つては與那國島と石垣島の一小部分に過ぎずして其地は悉く有病地になつて居る爲めに人口の繁殖力頗る微弱だと云つて居る所に依ると減少の一方ばかり示して居る地方もあるそうだ
されば地面の價格なども頗る低廉で四ヶ村近傍でこそ多少の價格を以て賣買もされるけれども少しく遠方になると全然價格のない所か多いと云ふ話だ斯う云ふ所であるから地租の賦課額なども極めて低率であるに拘らず地主の方では此の値打ちを感ぜぬ地面に對して地租を拂ふを喜ばぬ爲め屡々滯納處分を執行されて地面の差押を見ることがあるけれども一向に平氣なもので却つて是等無用の長物が始末されたのを喜ぶ位のものだそうで實際また税務官の側でも一旦法に依つて處分はしたものヽ扨て其地面を公賣に附した所で一切買手がなく大に持て餘したこともあると云ふ話である
斯くの如き有樣にて四ヶ村を除くの外は殆んど不動產の價値がないやうなものだから人民の土地に關する觀念も頗る薄いが其代り牧畜は非常に盛んで牧塲は間切有のもの二ヶ所と外に民間の共同牧塲が方々にあつて反別の合計實に五千六百〇一町歩餘に達して居る牧塲は孰れも周圍に四尺程の石垣を築き繞らして牛馬を放飼して居るが是等牧塲に収容されたる畜類は牛が四千八百三十五頭馬が二千三百六十七頭もある牛馬は主に農事に使用されるのであるが時々臺灣あたりに輸出することもあるそうだ
山紫水明と云へば如何にも大袈裟に聞へるが兎に角全体から見て土地の容態が頗る開轄で殊に四ヶ村などは島民の住宅極めて淸潔で服装も亦奇麗であるのみならず人情も質撲で少しも摺れた所がない一般に率直にし■夏■どになる■夜間戸を鎖すこともなけれど一向に盗難沙汰が起こらぬとは武陵桃源の人にあらざれば宛然として葛天氏の民である米は作るけれども賣つて金にしやうなどの心はなく大抵自家の食用に充てるばかりである波照間島などでは自家で作つた米を稻塚にして貯て居ながら風害後蘇鉄を食ふに至つても猶ほ其米に手を着けぬそうだ又以て其生活状態がいかにも單純で而かも用心深いことが察せられる
斯くてまた仝郡の經濟状態を窺ふに昨年度の輸出総額は八万五千七百六十五圓にして輸入総額十一万〇三百二十七圓即ち二万四千五百六十二圓の輸入超過を示して居るが扨てその輸出の方面では米、麥、粟、葉煙草等其主なるもので就中葉煙草最も多額を占め實に三萬三千九百九十斤此價格二万二千四百十圓で輸出全額の二割五分強を示し外に紅露の三千五百餘圓木炭の千八百餘圓細上布の五百八十餘圓木綿絣八百八十餘圓石炭九百圓羽毛六百圓なども又此地特有の輸出品としてみるべきが中に黐の一万五千七百二十圓最も珍しく是亦輸出額全額の一割八分強を占めて居る輸入の方面では白米、唐白米、石油、泡盛、昆布、茶、素麺、泥藍等多額を占め居るのである夫から仝郡昨年度の歳計は一萬九千六百〇三圓〇二錢五厘にして一郡の歳計としては頗る少額に失するの感じがするけれども全郡の人口二万に満たざるを思へばその必ずしも然らざるを知ることが出來るのである
現代仮名遣い表記
◎先島めぐり(五)
梅山生
漲水港を出て石垣島に向ふ。航海八九時相巨ることわずかに九十一海里であるけれども、此の両地方は第一土地の状態からして違う。宮古島の低平にして山なきに比し、八重山島は海抜一千五六百尺の高嶺が重畳して居る。彼が全島不毛の禿山で山林の目に入る者なきに反して、是は鬱蒼たる深林を海上から望むことが出来る。気候も違えば、地質も違うであろう。若し詳細の所に立ち入って充分なる視察を遂げたならば、島民の言語風俗にも亦はなはだしき相違のあると発見するに違いない。
八重山郡は石垣西表の二島以下大小十八の島嶼から成り、面積は広漠として居けれども、戸数は四千五十余戸で人口は一万九千八十余人に過ぎぬ。全郡三ヶ間切二十九ヶ村に分けられ、一村の人口少きは三十名に足らぬ。石垣間切崎枝村の如きになること、全村二十六人でしかも戸数十一戸もある、一戸の平均実に二人三分にしか当らぬ。思うに八重山島はマラリア病の発生地で、全然無病の地と云っては与那国島と石垣島の一小部分に過ぎずして、その地はことごとく有病地になって居る為めに人口の繁殖力すこぶる微弱だと云って居る。所に依ると減少の一方ばかり示して居る地方もあるそうだ。
されば地面の価格なども頗る低廉で、四ヶ村近傍でこそ多少の価格を以って売買もされるけれども、少しく遠方になると全然価格のない所か多いと云う話だ。こう云う所であるから地租の賦課額なども極めて低率であるに拘らず、地主の方では此の値打ちを感ぜぬ。地面に対して地租を払うを喜ばぬ為め、しばしば滞納処分を執行されて地面の差押を見ることがあるけれども一向に平気なもので、却って是等無用の長物が始末されたのを喜ぶ位のものだそうで、実際また税務官の側でも一旦法に依って処分はしたものの、さてその地面を公売に附した所で一切買手がなく、大に持て余したこともあると云う話である。
斯くの如き有様にて、四ヶ村を除くの外は殆んど不動産の価値がないようなものだから人民の土地に関する観念もすこぶる薄いが、その代り牧畜は非常に盛んで、牧場は間切有のもの二ヶ所と外に民間の共同牧場が方々にあって、反別の合計実に五千六百〇一町歩余に達して居る。牧場はいづれも周囲に四尺程の石垣を築きめぐらして牛馬を放飼して居るが、これ等牧場に収容されたる畜類は牛が四千八百三十五頭、馬が二千三百六十七頭もある。牛馬は主に農事に使用されるのであるが時々台湾あたりに輸出することもあるそうだ。
山紫水明と云えば如何にも大袈裟に聞へるが。とにかく全体から見て土地の容態がすこぶる開轄で、殊に四ヶ村などは島民の住宅極めて清潔で服装もまた奇麗であるのみならず、人情も質撲で少しもすれた所がない。一般に率直にし■夏■どになる■夜間戸を閉ざすこともなけれど一向に盗難沙汰が起こらぬとは、武陵桃源の人にあらざれば宛然として葛天氏の民である。米は作るけれども、売って金にしようなどの心はなく、大抵自家の食用に充てるばかりである。波照間島などでは自家で作った米を稲塚にして貯て居ながら、風害後蘇鉄を食うに至ってもなほ其米に手を着けぬそうだ。又、以てその生活状態がいかにも単純でしかも用心深いことが察せられる。
斯くてまた同郡の経済状態をうかがうに、昨年度の輸出総額は八万五千七百六十五円にして輸入総額十一万〇三百二十七円、即ち二万四千五百六十二円の輸入超過を示して居るが、さてその輸出の方面では米、麦、粟、葉煙草等その主なるもので、とりわけ葉煙草は最も多額を占め実に三万三千九百九十斤、此価格二万二千四百十円で輸出全額の二割五分強を示し、外に紅露の三千五百余円、木炭の千八百余円、細上布の五百八十余円、木綿絣八百八十余円、石炭九百円、羽毛六百円なども又此地特有の輸出品としてみるべきが、中に黐の一万五千七百二十円最も珍しく、是亦輸出額全額の一割八分強を占めて居る。輸入の方面では白米、唐白米、石油、泡盛、昆布、茶、素麺、泥藍等多額を占め居るのである。それから同郡昨年度の歳計は一万九千六百〇三円〇二銭五厘にして、一郡の歳計としては頗る少額に失するの感じがするけれども、全郡の人口二万に満たざるを思えば、その必ずしも然らざるを知ることが出来るのである。