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◎思はぬ旅行(一)

掲載年月日:1907/2/6(水) 明治40年
メディア:琉球新報社 3面 種別:記事

原文表記

◎思はぬ旅行(一)
多良間島 仲松生
題して思はぬ旅行といふ誰も一見して其意外の旅行なるを知るならん左れど其旅行がいと奇しき動機にてありければ好奇心にかられて茲に其の顚末を記すれば左の如し
時は颯々たる秋風快を通る頃なりき如何なるまはり合せによりけん神ならぬ身にしあれば知るに由なし平素健かなるれのが身に少しば覚へければとて平良地方に轉地療養することになりたりぬ翁長醫師の丁寧なる治療により想像より早く癒えしは仝氏の治療法いとたくみなりければにやあらん
巳に疾は癒え身もいと輕快になりぬこれよりは歸任の事のみ心に浮かぶ
片時もとくかへりたしわが園に
學ひの子らのしのはるゝ身は
朝夕便船のみ待ち詫びて何事も捗々しく手につかず寝ては起き起きては食ふ是のみ日日の仕事なりき
待ちに待ちたる傅馬船吾か多良間島より來れり喜び譬ふるに物なしされど行くに尚ほ日数を要すといへば心中快々の感に堪へず時は三十九年十一月七日の昼過ぎなりき其筋の或人より急報あり不取敢開き見れば「南都丸は新兵搭載のため多良間島に寄港することに相談總まれり御都合いかゞ」と嗚呼いと嬉しこれなむ予にとりては盲龜の浮木寝耳に水の感をなしける直ちにいでヽ公の事どもし終へてかれこれと意を配りし時は巳に黄昏になりぬ左ればとて一人の老いたる母親に一禮して別れの挨拶をなせば「其方等よく身を大切にせよ又逢ふ瀨は近からむも」と眞心よりの一言はふと心中に動悸を起こし覺らず涙をこぼしたり
早や濱にゆかずは艀舩なからむとて名殘惜しくも母に別れて急ぎ濱にゆけばかねて用意の一艘は吾を待てり直に打ち乗り南都丸さしてぞゆく海は荒れ波は高し舟子等は有らむ限りの勇を出して漕ぎゆく
  物毎にこのこヽろもて勇みなは
    などかならさる事やあるへき
やうやうにして梯子段にとりつき直ちに二等室に行けば同行の下地(昌這)氏は予の遅きを待ちわび顔なりきそこそこに手荷物片付て見送りの兄君〓仗ども拄とも頼むは只此君一人のみ〓其外親しき友達と一杯傾けて海上安全を祈る
あくる暁の六時に舟は抜錨し黑煙を後に残して進航す濱を見れば人影らしきもの点点見ふ
かすかなるかなたの濱の人影は
わかれをたしむ妻子なるらむ
舩は千噸に少し足らずといふ稍々大ければあまり動揺せず舩暈する人一人もなし予と室を共にせしは只々一人の下地君あるのみ仝氏も平生の元氣はなけれど酔はざるは何よりの幸なりと語りぬ
この日正午十二時舩は多良間島の北海にあり時に舩長予に語るらく「今日は海荒れ波高ければ迚ても寄港は覺束なし左れどかへりには必ず寄せんまづ相圖迄に汽笛を鳴らし旗を掲げん」と云ふ予もかねて其覺悟なればこの一言には直ちに同感を表す
いとほしも二月あまり歸らさる
わか島今はいかになりけん
濱にはあちこちに人影見にぬ去ぬる日の暴風に損害を被りし山原舩は修繕済みしにや只々淋しげに一艘浮べる見ふ折しも海鳥高く空をかすめて飛びゆく島は漸々手にとる如く近くなりぬ
翼あらば飛ひも行かなむ我島の
山もあざかに見ふる今日かな
かれこれする間に舩は早や多良間島を後にして走る八重山の石垣島は高く海中に突き立てりまだ見しことのなき島なれは目をこすり甲板に上りてうち眺むるも心地よし
島の有樣や大島に似たる處あり午後六時恙なく石垣港に入る舩長曰く「舩は明朝未明に西表島に向ふ」とさらばとて上陸し入浴せんとて用意なす時に雨降りければ下地君は興味淺しとて上陸を好まず頻りにすヽめて艀舩をやとひ二人共に上陸す舩繫塲の遠ければにや一人前二十銭宛の艀舩賃を要しぬ
折しも陰暦の二十日あまりの暗の空とて闇さはくらしいとくらし
來しことのひとたひもなき此島に
いつ出の人を道しるべせん
舟子等のいと懇ろなる心により一人の案内者を賴み税務署にゆく幸なる■たのか故郷の下地(昌道)君并ひにこの島の大濱君にはせりかれこれの挨拶をなし其來し由來を隅なく語りつヽ茶を喫し疲勞を慰す暫らくして下地(昌道)君の誘引により仝氏の宿にゆき三人共に一杯傾けつヽ談笑の間に互に舊情をあたヽむこの夜はこヽに一泊することにして乃ち蚊帳を吊り楽しき枕を並べしば
十二時にてありき
とく起きむ心ゆるすなわか友よ
明日の舩出に時な後れぞ
翌朝未明主人も起きさるに起床し目をこすりつヽ下地(昌道)君と共に濱にゆけば一艘の艀舩だになしあちこち駆けめぐり相談に時を移せば南都丸は己に出でゆく
ひとすちにたのみしふねいてゆけり
今はすへなし共にかへらむ
又も下地(昌道)君の宿にかへる仝民のいと懇ろなるには吾等は共に感動せり
この夜より風吹き出で海は荒れ時々刻々移るに従ひて烈しくなりあくる朝よりは强風となり終に烈風とはなりぬ予等にとりては天祐といはんか神助とやいはんかこれぞ實に不幸中の幸にてはありける
嚢日或長者が「船つかば必ず上陸すべし」と言はれしはかヽる場合のあるにてもよりけるとかと何につけても身の幸なるは感慨の種となる

現代仮名遣い表記

◎思はぬ旅行(一) 
多良間島 仲松生
題して思はぬ旅行という誰も一見して其意外の旅行なるを知るならん。左れど其旅行がいと奇しき動機にてありければ、好奇心にかられて茲に其の顛末を記すれば左の如し。
時は颯々たる秋風快を通る頃なりき。如何なるまはり合せによりけん神ならぬ身にしあれば知るに由なし、平素健かなるおのが身に少しばかりいたつきを覚えければとて、平良地方に転地療養することになりたりぬ。翁長医師の丁寧なる治療により想像より早く癒えしは同氏の治療法いとたくみなりければにやあらん。
巳に疾は癒え身もいと軽快になりぬこれよりは帰任の事のみ心に浮かぶ
片時もとくかへりたしわが園に
学びの子らのしのばるる身は
朝夕便船のみ待ち詫びて、何事も捗々しく手につかず、寝ては起きて起きては食う是のみ日日の仕事なりき。
待ちに待ちたる伝馬船吾か多良間島より来れり。喜び譬えるに物なし、されど行くに尚ほ日数を要すといへば心中快々の感に堪へず、時は三十九年十一月七日の昼過ぎなりき。其筋の或人より急報あり不取敢開き見れば、「南都丸は新兵搭載のため多良間島に寄港することに相談纏まれり御都合いかが」と。嗚呼いと嬉し、これなむ予にとりては盲亀の浮木、寝耳に水の感をなしける直ちにいでて公の事どもし終へて、かれこれと意を配りし時は己に黄昏になりぬ。左ればとて一人の老いたる母親に一礼して別れの挨拶をなせば「其方等よく身を大切にせよ又逢ふ瀬は近からむも」と、真心よりの一言はふと心中に動悸を起こし覚えず、涙をこぼしたり。
早や浜にゆかずば艀舩なからむとて、名残惜しくも母に別れて急ぎ浜にゆけば、かねて用意の一艘は吾を待てり。直に打ち乗り南都丸さしてぞゆく海は荒れ、波は高し舟子等は有らむ限りの勇を出して漕ぎゆく
  物毎にこのこころもて勇みなは
    などかならざる事やあるべき
やうやうにして梯子段にとりつき直ちに二等室に行けば、同行の下地(昌這)氏は予の遅きを待ちわび顔なりき。そこそこに手荷物片付て、見送りの兄君〓扙ども拄とも頼むは只此君一人のみ〓其外親しき友達と、一杯傾けて海上安全を祈る。
あくる暁の六時に舟は抜錨し、黒煙を後に残して進航す。浜を見れば人影らしきもの点点見ふ
かすかなるかなたの浜の人影は
わかれをおしむ妻子なるらむ
船は千トンに少し足らずという、稍々大ければあまり動揺せず舩暈する人一人もなし。予と室を共にせしは、只々一人の下地君あるのみ同氏も平生の元気はなけれど、酔はざるは何よりの幸なりと語りぬ。
この日正午十二時、船は多良間島の北海にあり、時に船長予に語るらく「今日は海荒れ波高ければ迚ても寄港は覚束なし、左れどかへりには必ず寄せん、まづ相図迄に汽笛を鳴らし旗を掲げん」と云う。予もかねて其覚悟なれば、この一言には直ちに同感を表す。
いとほしも二月あまり帰らさる
わか島今はいかになりけん
浜にはあちこちに人影見えぬ、去ぬる日の暴風に損害を被りし山原船は修繕済みしにや只々淋しげに一艘浮べる見ふ。折しも海鳥高く空をかすめて飛びゆく、島は漸々手にとる如く近くなりぬ
翼あらば飛びも行かなむ我島の
山もあざかに見うる今日かな
かれこれする間に船は早や多良間島を後にして走る。八重山の石垣島は高く海中に突き立てり、まだ見しことのなき島なれば目をこすり甲板に上りてうち眺むるも心地よし。
島の有様や大島に似たる処あり、午後六時恙なく石垣港に入る。船長曰く「船は明朝未明に西表島に向ふ」と、さらばとて上陸し入浴せんとて用意なす時に雨降りければ、下地君は興味浅しとて上陸を好まず。頻りにすすめて艀舩をやとい、二人共に上陸す、船繫場の遠ければにや一人前二十銭宛の舩舩賃を要しぬ
折しも陰暦の二十日あまりの暗の空とて闇さはくらし、いとくらし
来しことのひとたびもなき此島に
いつかの人を道しるべせん
舟子等のいと懇ろなる心により一人の案内者を頼み、税務署にゆく幸なる■。たのか故郷の下地(昌道)君并ひに、この島の大濱君おはせり。かれこれの挨拶をなし其の来し由来を隅なく語りつつ、茶を喫し疲労を慰す。暫らくして下地(昌道)君の誘引により、同民の宿にゆき三人共に一杯傾けつつ談笑の間に互に旧情をあたたむこの夜は、ここに一泊するとにして乃ち蚊帳を吊り楽しき枕を並べしば十二時にありき
とく起きむ心ゆるすなわが友よ
明日の船出に時な後れぞ
翌朝未明、主人も起きさるに起床し目をこすりつつ下地(昌道)君と共に浜にゆけば一艘の艀船だになし。あちこち駆けめぐり相談に時を移せば、南都丸は己に出でゆく
ひとすぢにたのみしふねいてゆけり
今はすべなし共にかへらむ
又も下地(昌道)君の宿にかへる同民のいと懇ろなるには吾等は共に感動せり
この夜より風吹き出で海は荒れ、時々刻々移るに従いて烈しくなり、あくる朝よりは強風となり終に烈風とはなりぬ。予等にとりては天祐といはんか神助とやいはんか、これぞ実に不幸中の幸にてはありける。
嚢日或長者が「船つかば必ず上陸すべし」と言はれしは、かかる場合のあるにてもよりけることかと、何につけても身の幸なるは感慨の種となる。