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◎縣下に於ける昨年の鰹漁業(下)
原文表記
◎縣下に於ける昨年の鰹漁業(下)
▲玉城技手の談
◎以上各船の収獲高及其他來年の用意にて漁期末に新たに購入せし船の収穫高を合すれは少なくとも昨年中に五万圓以上の収獲があつた樣である
◎當卅九年如何當年は國頭郡を主とし彼處是處に既に講入又は注文しをるもの十七八隻もありて船數の增す上に練習も積み且つ卅八年の結果に鑑み始業者は勿論仝年不結果の者も皆敎師を雇入るる决心であれば當年の產額は如何しても拾万圓以上は豫想さるる依て當春よりの始業者並に從來不結果の當業者に對し少しく注意を引かんとす當業者宜しく奮勵して貰ひたい
一、必ず一二名の敎師を聘せよ
一二度鰹船に乘込み■見すれは誰でも鰹釣は易い樣に考ふれども決してそうでない必ず熟練の敎師より釣方、魚群の見方、集め方、餌の蒔方並に船の運轉方法等の傳授を受けなければならぬ論より証據前談喜屋武、本部、宜名眞等の船か所謂覆りし前車であつて大宜見及び奥船の如きは進行せし前車である勿論敎師を雇へば其の食料給金の爲に少からさる入費を掛くれとも此等の敎師は自己前の食料給金丈は如■しても取ることが出來て益はありても損はないのである
二、自己の土地に於て從業する勿れ
餌料魚の豊富出漁船の多き慶良間諸島の如きは特別なれとも先つ今日の處にては自己の住地にて從業するは惡い若し二三日も不漁に際會すれは漁業者は直ちに飽か生して自己固有の業又は他業に轉ずる弊がある本部、宜名眞船は其の適例にして糸滿船及大宜見船の遠方に行きて好績を得たるは明証である加之ならず出漁船の少き所にては船の少き程魚群に■當ることが少いから飽くことが早い即ち競争心と認堪力を薄くする又本懸に於て必ずしも慶良間島が好漁塲とは思はれぬ又相當の當業者が集まれは八重山、宮古、久米、伊平屋の諸島も甲乙なしと思ふ
三、從來の専漁業者よりも漁業者にあらざる者が成功早きか如し
是は徹頭徹尾何つまでもそう云ふことは出來ぬか先つ今日の處ではそう思はるゝ一体從來の漁業者は海に出つれは多少の漁獲ありて毎日魚を■且つは食ふことが出來るけれども鰹漁業の如き數日も全く不良の塲合に際■■る性質の漁業にありては早く飽く■味かある一昨年に於ける糸滿漁業者の如き昨年に於ける喜屋武、宜名眞、本部■の如きは皆從來の漁業者が乗込しにも抅はらず却て大宜見、奥の如き所に負けておる又昨卅八年の糸滿船の如きも多くは他の方面の人か乗たのて■る
四、今後節を精製せよ
昨年市中に賣買せる節を見るに皆乾燥の足らさる柔き生節が多かつた是は第一之を需用する縣民が惡いが本年より産額も殖え隨て他府懸へも出さゞるを得さる塲合となれは斯の樣な節は嚴禁せねはならぬ是非其の形状、色澤、乾燥等を充分にせなけれはならぬ一体本懸民の多數は未た鰹節の眞味と經濟を知ずして只た黴が澤山付て磨かさる生節を賞味する風かありて却て乾燥充分色澤ある節は古節とてだしが抜けてあると云て嫌ふ樣である甚だおかしい(完)
現代仮名遣い表記
◎県下に於ける昨年の鰹漁業(下)
▲玉城技手の談
◎以上各船の収獲高及其他、来年の用意にて漁期末に新たに購入せし船の収穫高を合すれば、少なくとも昨年中に五万円以上の収獲があった様である。
◎当三十九年如何当年は国頭郡を主とし、彼処是処に既に講入又は注文しうるもの十七八隻もありて船数の増す上に練習も積み、且つ三十八年の結果に鑑み、始業者は勿論同年不結果の者も皆教師を雇入るる决心であれば、当年の産額は如何しても十万円以上は予想さるる。依って、当春よりの始業者並に従来不結果の当業者に対し、少しく注意を引かんとす当業者宜しく奮励して貰いたい。
一、必ず一二名の教師を聘せよ
一二度鰹船に乗込み■見すれば、誰でも鰹釣は易い様に考えれども、決してそうでない。必ず熟練の教師より釣方、魚群の見方、集め方、餌の蒔き方、並に船の運転方法等の伝授を受けなければならぬ。論より証拠、前談喜屋武、本部、宜名真等の船が所謂覆りし前車であって、大宜見及び奥船の如きは進行せし前車である。勿論、教師を雇えば其の食料給金の為に少からざる入費を掛くれども、此等の教師は自己前の食料給金丈は如■しても取ることが出来て、益はありても損はないのである。
二、自己の土地に於て従業する勿れ
餌料魚の豊富出漁船の多き慶良間諸島の如きは特別なれども、先づ今日の処にては自己の住地にて従業するは悪い。若し二三日も不漁に際会すれば、漁業者は直ちに飽か生して、自己固有の業又は他業に転ずる弊がある。本部、宜名真船は其の適例にして、糸満船及大宜見船の遠方に行きて好績を得たるは明証である加。之ならず出漁船の少き所にては、船の少き程魚群に■当ることが少いから飽くことが早い、即ち競争心と忍耐力を薄くする。又本県に於て必ずしも慶良間島が好漁場とは思はれぬ。又相当の当業者が集まれば八重山、宮古、久米、伊平屋の諸島も甲乙なしと思ふ。
三、従来の専漁業者よりも漁業者にあらざる者が成功早きが如し
是は徹頭徹尾いつまでもそう云うことは出来ぬが、先づ今日の処ではそう思はるる。一体従来の漁業者は海に出づれは多少の漁獲ありて毎日魚を■、且つは食うことが出来るけれども、鰹漁業の如き数日も全く不良の場合に際■■る性質の漁業にありては早く飽く■味かある。一昨年に於ける糸満漁業者の如き、昨年に於ける喜屋武、宜名真、本部■の如きは皆、従来の漁業者が乗込しにも拘はらず、却て大宜見、奥の如き所に負けておる。又、昨三十八年の糸満船の如きも、多くは他の方面の人が乗ったので■る。
四、今後節を精製せよ
昨年、市中に売買いせる節を見るに、皆乾燥の足らざる柔き生節が多かった。是は第一之を需用する県民が悪いが、本年より産額も殖え、随て他府県へも出さざるを得ざる場合となれば、斯の様な節は厳禁せねばならぬ。是非其の形状、色沢、乾燥等を充分にしなければならぬ。一体、本県民の多数は未だ鰹節の真味と経済を知ずして、只た黴が沢山付て、磨かざる生節を賞味する風がありて、却て乾燥充分色沢ある節は古節とて、だしが抜けてあると云て嫌う様である。甚だおかしい。(完)