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◎八重山群島(十[十一])
原文表記
◎八重山群島 (十)
水産(續)
▲重要海産物概要(續)
五、(鰹)に三種あり其一をシンブリヂヤーと云ひ、一をマーカツヲと云ひ、一をヤマトカツヲと云ふシンブリヂヤーはチーハヤとも云ひヤマトカツヲは遠魚とも云ひ又沖鰹とも云ふ而してシンブリヂヤーは三種の内に最も小なるものなり其大なるものにしても凡そ二斤マーカツヲは十四五斤ヤマトカツヲは廿斤位なりとすマーカツヲは他の二種に比すれば色微黒ヤマトカツヲは黒線條あり三種とも四季之を見ざることなしと雖ともマーカツヲ及シンブリヂヤーは概して七八月頃より十二月頃までの間ヤマトカツヲは三四月頃群來すること頗る多し而してシンブリヂヤー及マーカツヲは主に岸邊に群游すれともヤマトカツヲは之に反し遠海に群游するを常とす故に遠魚沖鰹等の名ありといふ未だ其漁塲とすべき一定の塲所を見出さゞれどもヤマトカツヲは與那國近海に最も多しとのことなり其孕卵期は分明ならざれども多分五六月頃にあるものゝ如し七月後に至れば四五寸位の稚兒岩礁の間に群游するを認む是れ盖しシンブリヂヤー、マーカツヲの稚兒なるべし捕獲法は別に餌等を撤布するにあらず唯だ其群游せる塲所に擬餌(鳥の羽毛を釣に結束して餌に擬す)を投ずるのみ
松原技師の豫察報告に據ればマーカツヲは東京のスマ、薩摩のヲボソカツヲにしてヤマトカツヲは東京の單にカツヲと稱するものシンブリヂヤーは東京のソーダカツヲ薩摩のスボタと異名同物なるが如く二種とも本郡島近海に於て多しと云へば更に漁獲法を講じ尙ほ進んで鰹節を製造するに至れば一廉の物産として其收利决して尠少ならざるべし
六、(メゾン) に二種あり其一を單にメゾンと云ひ一をヤマトメゾンと云ふヤマトメゾンはメゾンに比すれば稍々長大なり而してメゾンは五六月頃群集し來つて漸次成長し七八月頃を以て其漁期となし之を捕獲すれども元來漁網不完全にして單に投網位に過ぎざれば從て其漁獲高に於ても亦多しとせば而して其孕卵期は毎年十一二月の頃なりヤマトメゾンは其漁期十月、十一月頃にして孕卵期は三四月頃なるが如し而してヤマトメゾンは年に依ては非常に大群を爲して來ることありといふ尤も松原技師の豫察報告に依ればヤマトメゾンはメゾンの名を冒せども其種族異なり固より同一視すべきものにあらずとせり
七、(ガツン) は同游魚の一種にして八重山列島到る處の磯邊に群游す二三月頃稚兒群來漸次成長し七八月頃を以て漁期とす孕卵期は概して十一、十二月頃なり松原技師の豫察報告に依れば薩隅地方に處てトンパクと稱するものゝ如し而して島民に在りては今尙ほ投網を以て捕獲する位に過ぎざれば其漁撈高も固より多からず
七、ザンノイユ(海馬) は松原技師の豫察報告に依れば學問上くじらいろかと目を同うする者なりといふ八重山列島近海到る處殆んど見ざるなし而して多くは沙濱にして幾分の灣形を爲し且つ海草類多く波濤静穏なる塲所に棲息す常に二三十頭程連游すれども夏季に際しては殊に其數の多きを見る捕獲法は磯邊に近寄り來たるとき凡そ百餘尋にして高さ一丈餘に一尺計りの目を有する縄網を以て其逃路を遮り漸次押し圍んで之を撲殺するに至る其皮は從來産婦の良藥として島民大に之を貴び尙ほ旧藩時代に於ては支那貢品の一種として相當の價を有せしも近年に至りては需要者少く從て其利益も多からざるか故に進んで捕獲せんとするものも亦少きが如し
現代仮名遣い表記
◎八重山群島 (十)
水産(続)
▲重要海産物概要(続)
五、(鰹)に三種ありその一をシンブリヂヤーと云い、一をマーカツヲと云い、一をヤマトカツヲと云うシンブリヂヤーはチーハヤとも云いヤマトカツヲは遠魚とも云い又沖鰹とも云う。そしてシンブリヂヤーは三種の内に最も小なるものなり。その大なるものにしても凡そ二斤マーカツヲは十四五斤、ヤマトカツヲは二十斤位なりとす。マーカツヲは他の二種に比すれば色微黒、ヤマトカツヲは黒線条あり。三種とも四季之を見ざることなしと雖ともマーカツヲ及シンブリヂヤーは概して七、八月頃より十二月頃までの間ヤマトカツヲは三、四月頃群来すること頗る多し。そしてシンブリヂヤー及マーカツヲは主に岸辺に群游すれども、ヤマトカツヲはこれに反し遠海に群游するを常とす故に、遠魚沖鰹等の名ありといふ。未だ其漁場とすべき一定の場所を見出さざれども、ヤマトカツヲは与那国近海に最も多しとのことなり。その孕卵期は分明ならざれども多分五、六月頃にあるものの如し。七月後に至れば四、五寸位の稚児岩礁の間に群游するを認む。これ盖しシンブリヂヤー、マーカツヲの稚児なるべし捕獲法は別に餌等を撤布するにあらず唯だその群游せる場所に擬餌(鳥の羽毛を釣に結束して餌に擬す)を投ずるのみ。
松原技師の予察報告に拠れば、マーカツヲは東京のスマ、薩摩のヲボソカツヲにしてヤマトカツヲは東京の単にカツヲと称するもの。シンブリヂヤーは東京のソーダカツヲ、薩摩のスボタと異名同物なるが如く、二種とも本郡島近海に於て多しと云へば更に漁獲法を講じ尚お進んで鰹節を製造するに至れば、一廉の物産としてその収利決して尠少ならざるべし。
六、(メゾン) に二種ありその一を単にメゾンと云い、一をヤマトメゾンと云う。ヤマトメゾンはメゾンに比すれば稍々長大なり、そしてメゾンは五、六月頃群集し来つて漸次成長し七、八月頃を以てその漁期となし、これを捕獲すれども元来漁網不完全にして単に投網位に過ぎざれば、従てその漁獲高に於てもまた多しとせば、そしてその孕卵期は毎年十一二月の頃なり。ヤマトメゾンはその漁期十月、十一月頃にして孕卵期は三、四月頃なるが如し、そしてヤマトメゾンは年に依ては非常に大群を為して来ることありといふ。もっとも松原技師の予察報告に依ればヤマトメゾンはメゾンの名を冒せども、その種族異なり固より同一視すべきものにあらずとせり。
七、(ガツン) は同游魚の一種にして八重山列島到る処の磯辺に群游す。二、三月頃稚児群来漸次成長し七、八月頃を以て漁期とす。孕卵期は概して十一、十二月頃なり松原技師の予察報告に依れば、薩隅地方に処てトンパクと称するものの如し、そして島民に在りては今尚お投網を以て捕獲する位に過ぎざれば、その漁労高も固より多からず。
七、ザンノイユ(海馬) は松原技師の予察報告に依れば学問上くじらいろかと目を同うする者なりという。八重山列島近海到る処殆んど見ざるなし。そして多くは沙浜にして幾分の湾形を為し、且つ海草類多く波濤静穏なる場所に棲息す。常に二、三十頭程連游すれども夏季に際しては殊にその数の多きを見る。捕獲法は磯辺に近寄り来たるとき凡そ百余尋にして高さ一丈余に。一尺計りの目を有する縄網を以てその逃路を遮り、漸次押し囲んでこれを撲殺するに至る。その皮は従来産婦の良薬として島民大にこれを貴び、尚お旧藩時代に於ては支那貢品の一種として相当の価を有せしも、近年に至りては需要者少く従てその利益も多からざるか故に進んで捕獲せんとするものもまた少きが如し。