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◎大東島(續)
原文表記
◎大東島(續)
探撿隊の一人
舩長が一小艇に乗て嶮惡なる遠洋を渡り來たる處の手腕是又暵賞するに足れり其當時之に救助として出張したる戶田敬義等の復命書を左に擧け■救助の顚末を示すべし
復命書
命を奉■て明治廿四年十月二日大東島に在る米人救助の爲午前六時五分滊船大有號に乗組み那覇出發せり此日ハ幸に晴天風濱靜にして船の進行亦た速にして午后二時國頭邊土岬を過き翌午前七時東方雲間に大東島を見る船益々進て遂に同島の西北二海里位の處に着し遠見するに南北大東島の距■凡四海里にして又南大東島は南北の經陸路凡二里半强と認めたり又両島高さ海面を拔く高二百尺以上二百五十尺以内なるへし夫より直に小艇を■し岸に達するも断崖上陸の塲所なく怒濤の間に漂■凡一時二十分を費し米人の小艇を以て終に一人宛波濤に添ふて岸上■跳登するを得たり尙ほ四邊を熟視すれハ海岸総て絕壁にして高きハ半町余低きも數丈にして小舟を寄すへき塲所あるを見て是より先き殘し置たる外七名は我舟の島に近くと■に手■揚けて悅ひ一同岸に攀登らんとするとき岸上に並列して手を伸して我等の登るを上より腕成りは衣服を捉へ引揚けたり此内巳に一時三十分を費して漸く一同上陸し同島の西北隅の一小部分を蹈査するに土質沃土にして周回は都て海石より成立ち其内部ハ薄赤色の土質なり同島に於て將來難破船乗組人等救助の為め携帶したる別記の羊豚鷄兒等を放牧し諸種の植物野菜等の種又ハ苗等も植■而して大標木卽ち左の通書したるものを巖上海面を拔く凡そ百五十六呪の見易き處に建設せり而して明治十八年中建設せられたる標杭ハ字体一字も存するなく横倒し居も何分人少にして建興すへき時間なき■付止むなく表面の大日本帝國沖繩縣下大東■再記と書し置き其他十八年移植せしものゝ如何■探究するに■署七八株を見たり又鳥類ハ鳥二羽を認む而して歸船に際し上陸の時の如く外國人及小官等一同海岸絕壁の上に整列し數丈の下より怒濤と共に漕き揚る小艇に一人宛飛降り漸く一堂無異に乗移りたり偖該島に殘り居りたる外國人の談話する處に據るに島の中央に大なる池あり(凡徑三百尺)夫に添て沼あり■池水は飮料水■■し■鴨■「コカモ」を認めたる■島の■面海岸に添ふ處は總て阿旦樹を以て滿たし其内部ハ一面のコバ樹なるを認めたり然れども本船碇泊僅か五時間にして島内を充分探■する能■さりしハ遺憾の至りなり一同往事を談話する中汽笛一聲午后三■出發翌四日午后三時■島の南岸■回航■覇せり云云
南大東島の内■に大小の幾個の池あることは其漂着船乗組員■か始めて■見したるものにして且つ其水は飮料に適する旨■上に紹介せられたるは即ち戶田■等の報告に依れり
現代仮名遣い表記
◎大東島(続)
探険隊の一人
船長が一小艇に乗て嶮悪なる遠洋を渡り、来たる処の手腕是又暵賞するに足れり。其当■之に救助として出張したる戸田敬義等の復命書を左に挙け■救助の顛末を示すべし。
復命書
命を奉■て明治二十四年十月二日大東島に在る米人救助の為、午前六時五分汽船大有号に乗組み那覇出発せり。此日ハ幸に晴天風浜静にして、船の進行亦た速にして、午後二時国頭辺土岬を過ぎ、翌午前七時東方雲間に大東島を見る。船益々進て遂に同島の西北二海里位の処に着し、遠見するに南北大東島の距■凡四海里にして、又南大東島は南北の経陸路凡二里半強と認めたり。又両島高さ海面を抜く高二百尺以上二百五十尺以内なるへし、夫より直に小艇を■し岸に達するも、断崖上陸の場所なく怒濤の間に漂■、凡一時二十分を費し米人の小艇を以て、終に一人宛波濤に添ふて岸上■跳登するを得たり。尚お四辺を熟視すれば、海岸総て絶壁にして高きは半町余低きも数丈にして、小舟を寄すべき塲所あるを見て、是より先き残し置たる外七名は我舟の島に近くと、■に手■揚げて悦い一同岸に攀登らんとするとき、岸上に並列して手を伸して我等の登るを上より、腕成りは衣服を捉へ引揚げたり。此内巳に一時三十分を費して、漸く一同上陸し同島の西北隅の一小部分を蹈査するに、土質沃土にして周回は都て海石より成立ち、其内部は薄赤色の土質なり。同島に於て将来難破船乗組人等救助の為め、携帯したる別記の羊豚鶏児等を放牧し、諸種の植物野菜等の種又は苗等も、植■しかもして大標木即ち左の通書したるものを、巌上海面を抜く凡そ百五十六呪の見易き処に建設せり。しかしして明治十八年中、建設せられたる標杭は、字体一字も存するなく横倒し居も何分人少にして建興すべき。時間なき■付止むなく表面の大日本帝国沖縄県下大東■再記と書し置き、其他十八年移植せしものの如。何■探究するに■署 七八株を見たり又鳥類は鳥二羽を認む、しかもして帰船に際し上陸の時の如く外国人及、小官等一同海岸絶壁の上に整列し、数丈の下より怒濤と共に漕ぎ揚る小艇に、一人宛飛降り漸く一堂無異に乗移りたり。偖該島に残り居りたる外国人の談話する処に拠るに、島の中央に大なる池あり(凡径三百尺)夫に添て沼あり。■池水は飲料水■■し■鴨■「コカモ」を認めたる、■島の■面海岸に添ふ処は総て、阿旦樹を以て満たし。其内部は一面のコバ樹なるを認めたり、然れども本船碇泊僅か五時間にして、島内を充分探■する能■さりしは遺憾の至りなり。一同往事を談話する中汽笛一声午後三■出発、翌四日午後三時■島の南岸■回航■覇せり云々。
南大東島の内■に大小の幾個の池あることは、其漂着船乗組員■か始めて■見したるものにして、且つ其水は飲料に適する旨■上に紹介せられたるは、即ち戸田■等の報告に依れり