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●帆走船舩的矢丸無人島探險船

掲載年月日:1901/11/1(金) 明治34年
メディア:琉球新報社 3面 種別:記事

原文表記

●帆走舩的矢丸無人島探險船
台灣近海に一の無人島あり此程沖繩縣の管轄となり東京の■■に拜借し帆走舩的矢丸を以て探險せしむる計画にて其舩は此程より當港に碇泊中にて昨日出帆の筈なりしが江口の暗礁に乗りあげたる爲め出帆するを得ざりしも舩体にハ別條なき由なれは■卸し次第出帆すべし
●■辰丸 とて六十■噸の小蒸汽船昨日當港に入津したり同船は■月六日に大阪を出發し神戸、■■、■■、■■の■、口ノ永良部、大島、を經て當港に着したるものにて別に用向はなけれとも基隆■赴むく途次立寄りたるものなりと云ふ
●秦藏吉氏■國頭小學校 本縣視學秦藏吉氏は十三年間國頭高等小學校長を勤め親しく氏の薫陶を受けて立身出世せるもの正教員五十三名准■員■名其他役塲吏員等を含めれば無■■■名以上の■■に■し國頭郡敎育界のため■■■■■ちぬ■■を■し其の功勞尠少ならさるに■り一昨三十日敎育勅語語下賜紀念の■■を■し感謝狀に金杯壹組を添へて氏の■■寄贈した■■なるか其の金杯は大中小の三つ組にて大は直經三寸表面には富士山下波と千■■■■■■■る繪を現はし裏面には「國頭郡有志」の五字を彫刻し中は無地に「呈秦君」の三字を現はし小は「紀念」の二字を彫刻しある由にて東京天賞堂か丹誠を凝らして製作したる珍品なりといふ
●仁牟禮氏の葬 球陽丸舩長仁牟禮庄太郎氏の遺體は別項記載の通り昨朝引揚眞敎寺にて入棺式を執行■■邊原共同墓地■埋葬したり

現代仮名遣い表記

●帆走船的矢丸無人島探険船
台湾近海に一の無人島あり。此程沖縄県の管轄となり、東京の■■に拝借し帆走船的矢丸を以て探険せしむる計画にて、其船は此程より当港に停泊中にて昨日出帆の筈なりしが、江口の暗礁に乗りあげたる為め出帆するを得ざりしも、船体には別条なき由なれば■卸し次第出帆すべし
●■辰丸 とて六十■噸の小蒸汽船、昨日当港に入津したり。同船は■月六日に大阪を出発し神戸、■■、■■、■■の■、口ノ永良部、大島、を経て当港に着したるものにて別に用向はなけれども、基隆■赴むく途次立寄りたるものなりと云う
●秦蔵吉氏■国頭小学校 本県視学秦蔵吉氏は十三年間国頭高等小学校長を勤め親しく氏の薫陶を受けて立身出世せるもの正教員五十三名、准■員■名、其他役場吏員等を含めれば無■■■名以上の■■に■し、国頭郡教育界のため■■■■■ちぬ■■を■し其の功労尠少ならざるに■り、一昨三十日教育勅語下賜紀念の■■を■し、感謝状に金杯一組を添えて氏の■■寄贈した。■■なるか其の金杯は大中小の三つ組にて、大は直経三寸、表面には富士山下波と千■■■■■■■る絵を現わし裏面には「国頭郡有志」の五字を彫刻し、中は無地に「呈秦君」の三字を現わし、小は「紀念」の二字を彫刻しある由にて、東京天賞堂が丹誠を凝らして製作したる珍品なりという。
●仁牟礼氏の葬 球陽丸船長仁牟礼庄太郎氏の遺骸は、別項記載の通り昨朝引揚、真教寺にて入棺式を執行■■辺原共同墓地■埋葬したり