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●渡淸道中日誌(續)
原文表記
●渡淸道中日誌 (續)
香港(續) 半狂生
住民 人口二十六余万の内二十四万人は支那人にして一万余の英國人あり其他歐米各強國を始め印度人あり南洋諸島人あり往來に於て異客奇装に遭遇する其の有樣は人類の博物舘に赴きたるかの思あり日本人は領事舘に届出たる分に於て凡そ百數十人あり所謂密航婦と云ひコロツキと云ふの類も實際尠からさるを見る
商業 五六千噸の滊船は日々幾艘となく往來し正金銀行に十數倍の香港上海ハンクを始め各種の銀行は敏活に其金融機關を運轉し縱横に鉄路を敷詰たる倉庫は一軒十數棟に貨物を充滿せしめたるか如く萬端の商業機關は設備至らざるなく只た目を驚かす許りなり市中の商家は概ね支那人の營業に係り市塲の實權殆と彼等の手にありて商戰に於ては西洋人も三舎を避くるの有樣なりと云ふ日本商人としては正金銀行三井物產會社日本部商會等なり外に二三軒の雜貨商なきに非されとも總て不振の狀態にして云ふに足らす
道路 平地は海岸一帯の地あるのみにして市街は總て山を負ふ故に縱横に道路を開鑿して固むるに多くはセメントを以てし或は煉瓦を敷き或は石を疊めり淸潔にして塵を擧けす廣濶にして歩をさまたげすそれ惟に繁華の市街のみに非す一軒の設あれゝ必す通するに如此道路を以てしたること海面を去る千七百呎の山顚に及ふ只其廣狭の差あるのみ往來は馬車人力車あれとも其の區域甚た狭くして多く素より地形の己を得さるに出つれも轎を使用せり是れ香港の一大不便と云ふへし因に記す山嶺鐵道あり市街より山嶺に家屋市中至る所煉瓦造りにして三四層を最多とし二層建あり間に五階六階を見る下層は店舗を開き上層は居宅となす然れとも一階又は二階毎に多くは住人を異にするの有樣にして高楷に至りては甚上下に不便なるを以て上等の家屋には昇降機の設備あり三尺角許なる一小室を電氣力にて上下せしむるの作用にして一名のボーイありて之を番す人之に乗るや指先を以て一点を押せば自然に昇降して目的の楷に至り止むること■■るの仕掛けにして甚た巧みなるものなり
現代仮名遣い表記
●渡清道中日誌 (続)
香港(続) 半狂生
住民 人口二十六余万の内、二十四万人は支那人にして一万余の英国人あり。その他、欧米各強国を始め、印度人あり、南洋諸島人あり。往来に於て異客奇装に遭遇するその有様は、人類の博物館に赴きたるかの思あり。日本人は領事館に届出たる分に於て凡そ百数十人あり、いわゆる密航婦と云いコロツキと云うの類も実際少からざるを見る。
商業 五六千噸の汽船は日々幾艘となく往来し、正金銀行に十数倍の香港上海ハンクを始め各種の銀行は敏活に其金融機関を運転し、縦横に鉄路を敷詰たる倉庫は一軒十数棟に貨物を充満せしめたるか如く万端の商業機関は設備至らざるなく、ただ目を驚かす許りなり。市中の商家は概ね支那人の営業に係り、市場の実権ほどんど彼等の手にありて商戦においては西洋人も三舎を避くるの有様なりと云う。日本商人としては正金銀行三井物産会社日本部商会等なり、外に二三軒の雑貨商なきに非されども総て不振の状態にして云うに足らず。
道路 平地は海岸一帯の地あるのみにして市街は総て山を負う。故に縦横に道路を開墾して固むるに多くはセメントを以てし、或は煉瓦を敷き或は石を畳めり。清潔にして塵を挙げず、広濶にして歩をさまたげず、それ惟に繁華の市街のみに非ず。一軒の設あれ■必ず通するに如此道路を以てしたること海面を去る千七百呎の山顛に及ぶ、只その広狭の差あるのみ。往来は馬車人力車あれども其の区域甚だ狭くして多く、素より地形の己を得ざるに出づれも轎を使用せり。是れ香港の一大不便と云うべし。因に記す、山嶺鉄道あり、市街より山嶺に家屋、市中至る所煉瓦造りにして、三四層を最多とし二層建あり間に五階六階を見る。下層は店舗を開き上層は居宅となす。されども一階又は二階毎に多くは住人を異にするの有様にして、高楷に至りては甚だ上下に不便なるを以て上等の家屋には昇降機の設備あり。三尺角許なる一小室を電気力にて上下せしむるの作用にして、一名のボーイありて之を番す。人これに乗るや指先を以て一点を押せば自然に昇降して目的の楷に至り止むること■■るの仕掛けにして、甚だ巧みなるものなり。