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●渡淸道中日誌(續)
原文表記
●渡淸道中日誌 (續)
半狂生
九日晴 朝宮城を携て荔枝樹を見に行く途中沖縄人の墓所に立寄る琉球國を銘せる無數の墓碑山上山下に滿てり中に重立たる人々は富川、池城、豊見城、國頭、與那原、金城、等あり皆公務の爲め異郷に永眠の人となり香花を手向くるもの幾年幾回あるかを思へは坐ろに感慨の情を起さしむ
草はらふ人まれなりと見るに猶
あはれふかくもおもほゆる哉
即ち若干金を番人に與へ前記の人々に向て草を去り香を備へしむ道々龍眼樹の繁茂せるを見て人に聞き家を尋ねてウングンティーと云ふ所に至る見渡す限りの田畝專ら荔枝樹を植えたり遙に望めは蔘々たる大軒枝を接して荔山遠く遙なるか如し實に其豊富なるに驚く小木數株を買て歸る午后五時重なる在留日本人より一行を招待せられたるに赴く會塲は廬氏なる人の別荘なりと云ふ結構數奇にして堂庭清浄盆栽に富ふ点燈宴を開き珍味に飽き快談を盡して九時過散會す因に記す琉球舘は■頽して先頃大風の爲め建物の半を損し在舘六十余名の沖繩人專ら些少の粮銀に■りて朝夕を凌くと聞く今回某氏面會を求められとも固く執て之を拒めり余輩其情實は察するに余りあれとも其境遇憐むに堪えす今少しく限界を廣め大勢を考へて往くに其道を以てし止まるに其法を以てせんことを勸告するもの也
現代仮名遣い表記
●渡清道中日誌 (続)
半狂生
九日晴 朝、宮城を携て荔枝樹を見に行く。途中、沖縄人の墓所に立寄る、琉球国を銘せる無数の墓碑、山上山下に満てり。中に重立たる人々は富川、池城、豊見城、国頭、与那原、金城、等あり皆公務の為め異郷に永眠の人となり、香花を手向くるもの幾年幾回あるかを思へば坐ろに感慨の情を起さしむ。
草はらう人まれなりと見るに猶
あはれふかくもおもほゆる哉
即ち若干金を番人に与え、前記の人々に向て草を去り香を備へしむ。道々竜眼樹の繁茂せるを見て、人に聞き家を尋ねてウングンティーと云う所に至る。見渡す限りの田畝専ら荔枝樹を植えたり。遥に望めば蔘々たる大軒枝を接して荔山遠く遥なるが如し、実にその豊富なるに驚く。小木数株を買て帰る、午後五時、重なる在留日本人より一行を招待せられたるに赴く。会場は廬氏なる人の別荘なりと云う。結構数奇にして堂庭清浄盆栽に富む点灯宴を開き珍味に飽き快談を尽して九時過散会す。因に記す、琉球館は■頽して先頃大風の為め建物の半を損し、在舘六十余名の沖縄人専ら些少の粮銀に■りて朝夕を凌くと聞く。今回、某氏面会を求められども固く執て之を拒めり。余輩其情実は察するに余りあれども其境遇憐むに堪えず。今少しく限界を広め、大勢を考えて往くに其道を以てし止まるに其法を以てせんことを勧告するもの也。