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○大東島

掲載年月日:1885/9/22(火) 明治18年
メディア:郵便報知新聞 2面 種別:記事

原文表記

○大東島
沖繩縣下諸島の中にて是まで官民とも渡航せしことなき無人島即ち大東島視察の爲め共同運輸會社の滊船出雲丸の着港を待て同縣より官吏を派遣さるヽ云々の旨ハ去月十五日の紙上に記せしが同月廿八日同縣五等屬石澤兵吾氏外數名が出雲丸に搭し視察として同島へ出張されたりとて其隨員の紀行の槪畧を本月十二日刊行の鹿兒島新聞に載せたれば左に抄録す
明治十八年八月二十八日午前九時二十分共同運輸會社滊船出雲丸を以て無人島へ向け沖繩縣那覇港を解纜す出張員沖繩縣官石澤兵吾氏外に二名警部神尾直敏氏巡査二名にて同午后三時半沖繩島國頭岬と伊平屋島の直中眞東へ向け進航す時に行程測力一時間十英里なり
同二十九日晴天午前七時三十分遥かに二島嶼を望見す凡そ里程十三四英里なるべし同九時無人島の西岸凡そ一英里許の所へ着す時に那覇出港后二十三時四十分間行里二百四十英里なり着後海底の深淺不案内の處より一度本島の周圍を廻航す而して三度海底を測るに一は無■一は二百餘尋一ハ百餘尋即ち玆を以て最淺の所とす何處も滊船の定繋塲なきを知る然して上陸の成否を試みん爲め先づ端船一艘を陸地へ派遣す再三漸く一の上陸塲を■見す仍て一同上陸するに曲岸絶壁實に非常の困難を極む直に一同山中(是は山と云ふ程の事ハなし)へ分け入り何處ともなく馳廻るに草木(草木ハ沖繩地方のものと同し)繁茂し外にコバ木アダン及び種々異樣の草木あり併し有益物ハ尠し山中を■渉する困難實に譬にるに物なし此■晴天にして日中炎熱嚴しく加えるに飮水の用意なく刀■を以て草木を切り拂ひ行く事凡そ一里餘此間に獸類ハ見ず又鳥類も甚だ稀なり宿貸蟹(手足を廣げバ凡そ方四尺餘もあるべし)及び蝙蝠(是亦方三尺餘もあるべし)の■くべき者甚だ多し既にして漸く當初上陸せし所へ歸りたり時に午后五時過ぎなりし兼て用意の標柱及ひ國旗を立てらる(此標柱持登りの因難ハ甚だしかりし)
沖繩縣管轄南大東島東西凡二里南北凡五里離本廳百里 沖繩縣
奉實地蹈査命者沖繩縣五等屬石澤兵吾仝十等屬久留彥八警部補神尾直敏巡査伊藤祐一仝柳田彌一郞

現代仮名遣い表記

○大東島
沖縄県下諸島の中にて是まで官民とも渡航せしことなき無人島即ち大東島視察の為め共同運輸会社の汽船出雲丸の着港を待て同県より官吏を派遣さるる云々の旨は去月十五日の紙上に記せしが同月二十八日同県五等属石沢兵吾氏外数名が出雲丸に搭し視察として同島へ出張されたりとて其随員の紀行の概略を本月十二日刊行の鹿児島新聞に載せたれば左に抄録す。
明治十八年八月二十八日午前九時二十分共同運輸会社汽船出雲丸を以て無人島へ向け沖縄県那覇港を解纜す出張員沖縄県官石沢兵吾氏外に二名警部神尾直敏氏巡査二名にて、同午後三時半沖縄島国頭岬と伊平屋島の直中真東へ向け進航す時に行程測力一時間十英里なり。
同二十九日晴天午前七時三十分遥かに二島嶼を望見す凡そ里程十三四英里なるべし同九時無人島の西岸凡そ一英里許の所へ着す時に那覇出港后二十三時四十分間行里二百四十英里なり着後海底の深浅不案内の処より一度本島の周囲を廻航す而して三度海底を測るに一は無■一は二百余尋一は百余尋即ち玆を以て最浅の所とす何処も汽船の定繋塲なきを知る然して上陸の成否を試みん為め先づ端船一艘を陸地へ派遣す再三漸く一の上陸塲を■見す仍て一同上陸するに曲岸絶壁実に非常の困難を極む直に一同山中(是は山と云ふ程の事ハなし)へ分け入り何処ともなく馳廻るに草木(草木ハ沖縄地方のものと同し)繁茂し外にコバ木アダン及び種々異様の草木あり併し有益物は尠し山中を■渉する困難実に譬にるに物なし此■晴天にして日中炎熱厳しく加えるに飲水の用意なく刀■を以て草木を切り払ひ行く事凡そ一里余此間に獣類は見ず、又鳥類も甚だ稀なり宿貸蟹(手足を広げバ凡そ方四尺余もあるべし)及び蝙蝠(是亦方三尺余もあるべし)の■くべき者甚だ多し既にして漸く当初上陸せし所へ帰りたり時に午後五時過ぎなりし兼て用意の標柱及ひ国旗を立てらる(此標柱持登りの因難は甚だしかりし)
沖縄県管轄南大東島東西凡二里南北凡五里離本庁百里 沖縄県
奉実地蹈査命者沖縄県五等属石沢兵吾同十等属久留彦八警部補神尾直敏巡査伊藤祐一同柳田弥一郎